エドワード5世 (イングランド王)

エドワード5世
Edward V
イングランド国王
エドワード5世
在位 1483年4月10日 - 6月25日
戴冠式 戴冠せず

出生 (1470-11-04) 1470年11月4日
イングランド王国の旗 イングランド王国ウェストミンスター
死去 (1483-09-03) 1483年9月3日(12歳没)?[1]
イングランド王国の旗 イングランド王国ロンドン塔
埋葬 1678年
イングランド王国の旗 イングランド王国ウェストミンスター寺院[2]
王朝 ヨーク朝
父親 エドワード4世
母親 エリザベス・ウッドヴィル
宗教 キリスト教カトリック教会
サイン
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エドワード5世英語: Edward V, 1470年11月4日 - 1483年9月3日?[1])は、ヨーク朝イングランド王(在位:1483年4月10日 - 6月25日)。エドワード4世と王妃エリザベス・ウッドヴィルの長男[3]。戴冠式挙行前に退位させられた。

生涯

1483年4月9日フランス討伐の準備中に死去した父の跡を継いで、12歳で王位を継承した[4]

エドワード5世が居城のラドロー城からロンドンへ急行中、摂政に就任した父方の叔父のグロスター公リチャード(後のリチャード3世)は、母方の叔父でエドワード4世の側近でもあったリヴァーズ伯アンソニー・ウッドヴィルを逮捕し処刑した[5]。その後、エドワード5世は弟のヨーク公リチャードと共にロンドン塔に幽閉された(2人は「塔の中の王子たち」 (Princes in the Towerと呼ばれることになる)。2ヵ月後の6月25日、議会はエドワード4世とエリザベス・ウッドヴィルの婚姻は無効であり、エドワード5世とヨーク公はエドワード4世の庶子であるとして、王位継承の無効を議決した[1][6]。そしてグロスター公が推戴され、リチャード3世としてイングランド王に即位した。

1485年、リチャード3世はボズワースの戦い王位請求者リッチモンド伯ヘンリー・テューダーに討たれた。リッチモンド伯はヘンリー7世として即位し、エドワード5世の姉エリザベス・オブ・ヨークと結婚した[7]

ポール・ドラローシュ『エドワード5世とリチャード兄弟』

ロンドン塔に幽閉された後のエドワード5世と弟リチャードの消息は、現在に至るまで判明していない。 1483年の夏ごろまではロンドン塔の庭で遊ぶ兄弟の姿が見られたが、次第にその姿を見ることは少なくなり、1484年の春には兄弟は既に殺されたという噂が市内に広く囁かれるようになったと『ロンドン年代記』(1512年頃)にある[8]

当時は2人がリチャード3世によって暗殺されたと考えられていた。1513年にトマス・モアが『リチャード3世伝』において、リチャードが腹心ジェイムズ・ティレルに指示し、その配下の2名の男によって窒息死させられたという見解を示した[8]。モアによれば、1502年にティレルが反逆罪で処刑される前に、事件における役割を自白したという。

1768年にホレス・ウォルポールが『リチャード3世の生涯と治世への歴史上の懐疑』を出版し、リチャード3世主犯説は濡れ衣であるとして彼の潔白を主張した[8]。現在の研究ではヘンリー7世が2人の運命に深く関わったとする説も有力である[9]。リチャード3世、そしてヘンリー7世、いずれの王位簒奪者にとってもエドワード5世と弟リチャードの存在は障害でしかなかったのは確かである。

1674年、ロンドン塔の改修に携わった作業員が、子供の遺骨とみられる大小の頭蓋骨や骨片が入った木箱を発見した。初めは放置されたが、1678年にチャールズ2世の命によりウェストミンスター寺院に安置された[2]。1933年、専門家によってその遺骨が鑑定されたが、性別・年齢が特定されることはなかった。

関連する作品

脚注

  1. ^ a b c Weir, p. 143
  2. ^ a b Weir, p. 144
  3. ^ “ロンドン塔に幽閉された王子、エドワード5世なのか?写真に写りこんだ少年の顔(イギリス) (2017年1月9日) - エキサイトニュース(2/2)”. エキサイトニュース (2017年1月9日). 2020年10月7日閲覧。
  4. ^ 森、p. 249
  5. ^ 森、pp. 253 - 254
  6. ^ 森、p. 256
  7. ^ 森、p. 285
  8. ^ a b c ジャンニ・デイヴィス 『消えた屍体:死と消失と発見の物語』 堀口容子著・訳 グラフィック社 2019年 ISBN 978-4-7661-3202-1 pp.124-129.
  9. ^ 森、p. 264 - 266

参考文献

  • 森護 『英国王室史話』 大修館書店、1986年
  • Alison Weir, Britain's Royal Families, Vintage, 2008.
先代
エドワード4世
イングランド国王
1483年
次代
リチャード3世
ウェセックス朝
デーン朝
  • スヴェン1013-1014
ウェセックス朝
  • エゼルレッド2世1014-1016
  • エドマンド2世1016
デーン朝
ウェセックス朝
ノルマン朝
  • ウィリアム1世1066-1087
  • ウィリアム2世1087-1100
  • ヘンリー1世1100-1135
  • マティルダ(イングランド人の女君主)1141-1148
ブロワ朝
  • スティーヴン1135-1154
プランタジネット朝
  • ヘンリー2世1154-1189
  • 若ヘンリー(共同王)1170-1183
  • リチャード1世1189-1199
  • ジョン1199-1216
  • ヘンリー3世1216-1272
  • エドワード1世1272-1307
  • エドワード2世1307-1327
  • エドワード3世1327-1377
  • リチャード2世1377-1399
ランカスター朝
  • ヘンリー4世1399-1413
  • ヘンリー5世1413-1422
  • ヘンリー6世1422-1461
ヨーク朝
  • エドワード4世1461-1470
ランカスター朝
  • ヘンリー6世(復位)1470-1471
ヨーク朝
  • エドワード4世(復位)1471-1483
  • エドワード5世1483
  • リチャード3世1483-1485
テューダー朝
  • ヘンリー7世1485-1509
  • ヘンリー8世1509-1547
  • エドワード6世1547-1553
  • ジェーン・グレイ1553
  • メアリー1世1553-1558
  • フィリップ(共同王)1554-1558
  • エリザベス1世1558-1603
ステュアート朝
  • ジェームズ1世1603-1625
  • チャールズ1世1625-1649
  • チャールズ2世1660-1685
  • ジェームズ2世1685-1688
  • メアリー2世1689-1694
  • ウィリアム3世1689-1702
  • アン1702-1707
1707年スコットランド王国と合同してグレートブリテン王国が成立、アンはグレートブリテン女王として1714年まで在位。
1603年までのイングランド君主1603年までのスコットランド君主
  • アルフレッド大王871-899
  • エドワード長兄王899-924
  • アゼルスタン924-939
  • エドマンド1世939-946
  • エドレッド946-955
  • エドウィ955-959
  • エドガー959-975
  • エドワード殉教王975-978
  • エゼルレッド2世978-1013
  • スヴェン1013-1014
  • エゼルレッド2世1014-1016
  • エドマンド2世1016
  • クヌート大王1016-1035
  • ハロルド1世1035-1040
  • ハーディカヌート1040-1042
  • エドワード懺悔王1042-1066
  • ハロルド2世1066
  • エドガー・アシリング (王位請求者)1066
  • ウィリアム1世1066-1087
  • ウィリアム2世1087-1100
  • ヘンリー1世1100-1135
  • マティルダ (イングランド人の女君主)1141-1148
  • スティーヴン1135-1154
  • ヘンリー2世1154-1189
  • 若ヘンリー (共同王)1170-1183
  • リチャード1世1189-1199
  • ジョン1199-1216
  • ヘンリー3世1216-1272
  • エドワード1世1272-1307
  • エドワード2世1307-1327
  • エドワード3世1327-1377
  • リチャード2世1377-1399
  • ヘンリー4世1399-1413
  • ヘンリー5世1413-1422
  • ヘンリー6世1422-1461
  • エドワード4世1461-1470
  • ヘンリー6世 (復位)1470-1471
  • エドワード4世 (復位)1471-1483
  • エドワード5世1483
  • リチャード3世1483-1485
  • ヘンリー7世1485-1509
  • ヘンリー8世1509-1547
  • エドワード6世1547-1553
  • ジェーン・グレイ1553
  • メアリー1世1553-1558及びフィリップ1554-1558(共同王)
  • エリザベス1世1558-1603
  • ケネス1世848-858
  • ドナルド1世(英語版)859-863
  • コンスタンティン1世(英語版)863-877
  • エイ(英語版)877-878
  • ギリック(英語版)878-889
  • ヨーカ(英語版)878-889
  • ドナルド2世889-900
  • コンスタンティン2世(英語版)900-942
  • マルカム1世(英語版)942-954
  • インダルフ(英語版)954-962
  • ダフ(英語版)962-967
  • カリン(英語版)967-971
  • ケネス2世(英語版)971-995
  • コンスタンティン3世(英語版)995-997
  • ケネス3世(英語版)997-1005
  • マルカム2世1005-1034
  • ダンカン1世1034-1040
  • マクベス1040-1057
  • ルーラッハ1057-1058
  • マルカム3世1058-1093
  • ドナルド3世1093-1094
  • ダンカン2世1094
  • ドナルド3世1094-1097
  • エドガー1097-1107
  • アレグザンダー1世1107-1124
  • デイヴィッド1世1124-1153
  • マルカム4世1153-1165
  • ウィリアム1世1165-1214
  • アレグザンダー2世1214-1249
  • アレグザンダー3世1249-1286
  • マーガレット1286-1290
  • ジョン・ベイリャル1292-1296
  • ロバート1世1306-1329
  • デイヴィッド2世1329-1371
  • エドワード・ベイリャル1332-1356
  • ロバート2世1371-1390
  • ロバート3世1390-1406
  • ジェームズ1世1406-1437
  • ジェームズ2世1437-1460
  • ジェームズ3世1460-1488
  • ジェームズ4世1488-1513
  • ジェームズ5世1513-1542
  • メアリー1世1542-1567
  • ジェームズ6世1567-1625
    • 1603年の王冠連合後のイングランド及びスコットランドの君主
  • ジェームズ1世及び6世1603-1625
  • チャールズ1世1625-1649
  • 護国卿政府 (オリバー・クロムウェル1653-1658リチャード・クロムウェル1658-1659)
  • チャールズ2世1660-1685
  • ジェームズ2世及び7世1685-1688
  • ウィリアム3世及び2世1689-1702及びメアリー2世1689-1694(共同王)
  • アン1702-1707
    • 1707年合同法後のイギリス君主
  • アン1707-1714
  • ジョージ1世1714-1727
  • ジョージ2世1727-1760
  • ジョージ3世1760-1820
  • ジョージ4世1820-1830
  • ウィリアム4世1830-1837
  • ヴィクトリア1837-1901
  • エドワード7世1901-1910
  • ジョージ5世1910-1936
  • エドワード8世1936
  • ジョージ6世1936-1952
  • エリザベス2世1952-2022
  • チャールズ3世2022-
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