エンリケ (ポルトゥカーレ伯)

エンリケ・デ・ボルゴーニャ
Henrique de Borgonha
ポルトゥカーレ伯
ポルトゥカーレ伯エンリケ(13世紀)
在位 1093年 - 1112年

全名 Henrique
エンリケ
Henri
アンリ
出生 1066年
ブルゴーニュ公国
死去 1112年5月12日
レオン王国アストルガ
埋葬 ポルトゥカーレ伯領ブラガブラガ大聖堂
配偶者 テレサ・デ・レオン
子女
一覧参照
  • アフォンソ
    ウラカ
    サンシャ
    テレサ
    エンリケ
    アフォンソ
家名 ボルゴーニャ家
王朝 ブルゴーニュ王朝
父親 アンリ・ド・ブルゴーニュ
母親 シビル・ド・バッセローヌ
宗教 キリスト教カトリック教会
テンプレートを表示
ウィキメディア・コモンズには、エンリケ・デ・ボルゴーニャに関連するカテゴリがあります。

エンリケ・デ・ボルゴーニャポルトガル語: Henrique de Borgonha, 1066年 - 1112年5月12日)はフランス出身のポルトゥカーレ伯爵(在位:1093年 - 1112年)。フランス語名はアンリ・ド・ブルゴーニュフランス語: Henri de Bourgogne)。ポルトガルの最初の王家であるボルゴーニャ家の祖。

生涯

ブルゴーニュ公子アンリの五男として生まれる。ブルゴーニュ公ユーグ1世、ウード1世は兄にあたる[1][2]。また、カスティーリャレオン王アルフォンソ6世の2番目の王妃で女王ウラカの母であるコンスタンサ・デ・ボルゴーニャは叔母にあたる。

末子であったため、相続によって得られる権利はわずかだった。そこでアルフォンソ6世の援軍要請に応じてレコンキスタに参加することとなり、イスラム教勢力と戦って現在のガリシアポルトガル北部にあたる地域の獲得に貢献した。アンリは1093年に褒賞としてアルフォンソ6世の庶子(従妹ウラカの異母姉妹)テレサと結婚、ポルトゥカーレの領地と伯爵位を与えられた。この土地は相婿(ウラカの夫)のレーモンがアルフォンソ6世に与えられていたが、代わってアンリの物となった。

子女

テレサとの間には3男3女をもうけたが、成人した男子は1人であった。その息子が後の初代ポルトガル王アフォンソである。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ Mattoso 2014, p. 28.
  2. ^ Martínez Díez 2003, p. 225.

参考文献

  • Mattoso, José (2014) (ポルトガル語). D. Afonso Henriques (2nd ed.). Lisbon: Temas e Debates. ISBN 978-972-759-911-0 
  • Martínez Díez, Gonzalo (2003) (スペイン語). Alfonso VI: Señor del Cid, conquistador de Toledo. Madrid: Temas de Hoy, S.A.. ISBN 8484602516 

関連項目

先代
ヌノ2世
ポルトゥカーレ伯
1093年 - 1112年
次代
アフォンソ1世
  • 表示
  • 編集
スタブアイコン

この項目は、ポルトガルの歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:歴史/P:ヨーロッパ/P:歴史学/PJ:ヨーロッパ)。

  • 表示
  • 編集
典拠管理データベース ウィキデータを編集
全般
  • VIAF
国立図書館
  • スペイン
  • ドイツ
その他
  • IdRef