グィーディ・ダ・ファエンツァの聖母

『グィーディ・ダ・ファエンツァの聖母』
フランス語: Madone des Guidi de Faenza
英語: Madonna of the Guidi da Faenza
作者サンドロ・ボッティチェッリ
製作年1465年ごろ
種類キャンバス上にテンペラ
寸法73 cm × 49 cm (29 in × 19 in)
所蔵ルーヴル美術館パリ
フィリッポ・リッピ聖母子 (リッピ)(イタリア語版)』(1465年ごろ)、アルテ・ピナコテークミュンヘン

グィーディ・ダ・ファエンツァの聖母』(グィーディ・ダ・ファエンツァのせいぼ、: Madone des Guidi de Faenza : Madonna of the Guidi da Faenza)は、イタリア・初期ルネサンス絵画の巨匠サンドロ・ボッティチェッリがごく若かった (21-22歳) 1465年ごろ、ポプラ板上にテンペラで描いた作品である[1][2]。ただし、ボッティチェッリ周辺の画家の作品とする意見もある[1]。かつて、ファエンツァのグィーディ家の所蔵品であったため、この名で呼ばれる[1]。作品は、1914年にバジール・ド・シュリシュタン (Basile de Schlichting) 男爵によりパリルーヴル美術館に遺贈された[3]

作品

この作品は、ボッティチェッリの師であったフィリッポ・リッピの『聖母子 (リッピ)(イタリア語版)』 (アルテ・ピナコテークミュンヘン) を踏襲している[1][2]。両作とも、はるか彼方に消えていく風景を背景にしている[2]が、本作ではリッピの作品には描かれていない窓枠がある。なお、外に広がっている岩山と霊廟のある風景 (後世の補筆がかなり入っている[1]) は実在しないものである[2]

額が広く透明なヴェールを被った、優美で少女らしい聖母マリアもリッピの影響を受けている[2]が、アンドレア・デル・ヴェロッキオの影響も見られる[1]。また、リッピが描いた非常に赤ん坊らしいイエス・キリストとは違い、この作品のイエスは頬が赤く、しっかりとした鼻があり、たくましく生き生きとしている[2]。マリアはX型の玉座に穏やかに座っているが、イエスは母の膝をよじ登り、抱いてもらおうとしているようである[2]。母子は互いに一心に見つめあっており、鑑賞者は母子の団欒に引き込まれてしまう。

脚注

  1. ^ a b c d e f NHKルーブル美術館IV ルネサンスの波動 1985年、126頁。
  2. ^ a b c d e f g ルーヴル美術館 収蔵絵画のすべて 2011年、55頁。
  3. ^ “La Vierge et l'Enfant, dite Madone des Guidi de Faenza”. ルーヴル美術館公式サイト (フランス語). 2023年10月8日閲覧。

参考文献

外部リンク

  • ルーヴル美術館公式サイト、ボッティチェッリ『グィーディ・ダ・ファエンツァの聖母』 (フランス語)
初期の作品
1480年代
の作品
1490年代
以降の作品
  • 『キリストの哀悼(ミュンヘン)』(1490年–1492年頃)
  • 『聖母子と3人の天使』(1493年頃)
  • 『キリストの哀悼(ミラノ)』(1490年-1495年頃)
  • 『聖三位一体』(1491年–1493年頃)
  • 『書斎の聖アウグスティヌス(ウフィツィ美術館)』(1490年–1494年頃)
  • 『聖ヒエロニムスの最後の聖体拝領』(1494年-1495年頃)
  • 『誹謗』(1494年-1495年頃)
  • 『聖母子と幼児聖ヨハネ』(1490年–1500年頃)
  • 『ゲツセマネの祈り』(1495年-1500年頃)
  • 神秘の降誕』(1500年–1501年頃)
  • 『ルクレティアの物語』(1496年-1504年)
  • 『ウェルギニアの物語』(1500年-1504年)
  • 聖ゼノビウスの生涯の場面』(1500年-1505年頃)