ズールー王国

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ズールー王国
Wene wa Zulu(ズールー語)
ムテトワ帝国 1817年 - 1879年 ナタール共和国
ニーウ共和国
ケープ植民地
ズールー王国の国旗
(国旗)
ズールー王国の位置
1890年のズールー王国
公用語 ズールー語
首都 ブラワヨ(英語版)
ウルンディ
国王
1817年 - 1828年 シャカ・ズールー
1828年 - 1840年ディンガネ・カセンザンガコナ(英語版)
1840年 - 1872年ムパンデ(英語版)
1873年 - 1879年セテワヨ・カムパンデ
面積
1828年29,785km²
人口
1828年250,000人
変遷
王国成立 1817年
イギリスの占領、植民地化1879年
通貨無し(が通貨の代わりとして用いられた)
現在南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国

ズールー王国ズールー語: Wene wa Zulu、ズールー帝国とも)は、トゥゲラ川(英語版)からポンゴラ川(英語版)にかけてのインド洋の沿岸部に19世紀に存在した南部アフリカ君主国

王国は、現在のクワズール・ナタール州の広い範囲を支配するまでに至ったが、1870年代のズールー戦争によって最終的に滅亡した。その後、領土はナタール植民地を経て南アフリカ連邦の一部となった。

歴史

ズールー族は南部アフリカの一部族に過ぎなかったが、1816年に首長センザンガコナ(英語版)が死去した翌年、シャカムテトワ帝国(英語版)皇帝であるディンギスワヨ(英語版)の庇護を受けてズールー王に即位し、王国が成立した。

後見役であるディンギスワヨがンドワンドウェ王国(英語版)との戦闘で死去したため、軍備の近代化や中央集権体制を進めたシャカはムテトワ帝国、ンドワンドウェ王国に侵攻し、支配下に置いた。しかし、シャカは国内では恐怖政治を行なったことから、異母弟のディンガネによって暗殺された。

ディンガネ・カセンザンガコナ(英語版)が第二代国王に即位し、次いで第三代国王にムパンデ(英語版)と続いたが、第四代国王セテワヨ・カムパンデズールー戦争で敗北したことによって王国は崩壊し、イギリス植民地となった。

茶色がズールー王国、オレンジが勢力下の地域、緑がコサ人の領域、赤がイギリス領。


関連項目

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