フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン

Friedrich Wilhelm

フリードリヒ・ヴィルヘルム
フリードリヒ・ヴィルヘルム(ギュンター・リットナー画、2003年)
生誕 (1924-02-03) 1924年2月3日
ドイツの旗 ドイツ国、バーデン共和国、ウムキルヒ、ウムキルヒ城
死没 (2010-09-16) 2010年9月16日(86歳没)
ドイツの旗 ドイツバーデン=ヴュルテンベルク州ジグマリンゲン郡ジグマリンゲン
墓地 ドイツの旗 ドイツバーデン=ヴュルテンベルク州ジグマリンゲン郡ジグマリンゲン、ヘディンゲン修道院
別名
一覧参照
  • Friedrich Wilhelm Ferdinand Joseph Maria Manuel Georg Meinrad Fidelis Benedikt Michael Hubert
    フリードリヒ・ヴィルヘルム・フェルディナント・ヨーゼフ・マリア・マヌエル・ゲオルク・マインラート・フィデリス・ベネディクト・ミヒャエル・フーベルト(全名)
宗教 キリスト教カトリック教会
配偶者 マルガリータ・ツー・ライニンゲン
子供
一覧参照
  • カール・フリードリヒ
    アルブレヒト
    フェルディナント
父:フリードリヒ
母:マルガレーテ
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フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ホーエンツォレルン=ジグマリンゲンドイツ語: Friedrich Wilhelm von Hohenzollern-Sigmaringen1924年2月3日 - 2010年9月16日)は、ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン侯家(英語版)の子孫。1965年から2010年までホーエンツォレルン侯家の家長であった。

生涯

1924年2月3日、ホーエンツォレルン侯家家長フリードリヒとその妻であったザクセン王女マルガレーテ(フリードリヒ・アウグスト3世の次女)の間に長男(第4子)としてウムキルヒ(英語版)ウムキルヒ城(ドイツ語版)(現在のバーデン=ヴュルテンベルク州ブライスガウ=ホッホシュヴァルツヴァルト郡(英語版))で生まれた。フライブルクで教育を受け、経営学の学士号を得た。1944年から翌1945年にかけてゲシュタポによって一家は強制収容され、この間居城のジグマリンゲン城(英語版)は連合国軍に追われたフィリップ・ペタンヴィシー政権のメンバーによって使用された。

ライニンゲン侯女マルガリータ(英語版)(1932年 - 1996年)と1951年1月5日ジグマリンゲンで民事婚を、2月3日アモールバッハで宗教婚を挙げ、間に3男を儲けた。

  • カール・フリードリヒ(英語版)(1952年 - ) - ホーエンツォレルン侯家家長
  • アルブレヒト(1954年 - )
  • フェルディナント(英語版)(1960年 - )

1965年2月6日に父が歿すると、ホーエンツォレルン侯家の家長となった。

2010年9月16日、逝去[1]。86歳没。長男のカール・フリードリヒがホーエンツォレルン侯家家長の座を継承した。

脚註

  1. ^ Friedrich Wilhelm Fürst von Hohenzollern ist tot Schwäbische Zeitung 2010-9-16

外部リンク

  • Preussen.de - Trauer um Seine Hoheit Fürst Friedrich Wilhelm von Hohenzollern (ドイツ語)
フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン

1924年2月3日 - 2010年9月16日

爵位・家督
先代
フリードリヒ
ホーエンツォレルン侯家家長
1965年 - 2010年
次代
カール・フリードリヒ
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