ラドフォード橋の戦い

ラドフォード橋の戦い

現在のラドフォード橋
戦争薔薇戦争
年月日1459年 10月12日
場所イングランドシュロップシャーのラドフォード橋
北緯52度21分49.5秒 西経2度43分8秒 / 北緯52.363750度 西経2.71889度 / 52.363750; -2.71889
結果:ランカスター派の勝利
交戦勢力
ヨーク家 ランカスター家
指導者・指揮官
ヨーク公
ソールズベリー伯
ウォリック伯
マーチ伯
ラットランド伯
アンドリュー・トラロップ(離反)
ヘンリー6世
バッキンガム公
ノーサンバランド伯
シュルーズベリー伯
ウィルトシャ―伯
デヴォン伯
バーモン子爵
戦力
不明 不明
損害
不明 不明
薔薇戦争
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ラドフォード橋の戦いの位置(イギリス内)
ラドフォード橋の戦い
ラドフォード橋の戦いの場所

ラドフォード橋の戦い(Battle of Ludford Bridge)は、薔薇戦争の早い時期にヨーク派が最悪の損害をこうむった戦いである。

ブロア・ヒースの戦いでの勝利の後、ヨーク派はウスターに向かって進軍した。途中でヘンリー6世指揮する強大なランカスター軍に遭遇すると、すぐに拠点のあったシュロップシャー、ラドロー(Ludlow)のラドフォード橋まで後退した。

1459年10月12日、カレー方面軍司令官のアンドリュー・トラロップが部下を連れてランカスター派に寝返りし、ヨーク派の軍事・戦略情報と交換に恩赦を願い出た。これによってヨーク派は約3分の1と圧倒的な数的不利に追い込まれた。そのためその夜、ヨーク公と2人の息子、それからウォリック伯とソールズベリー伯は、勝ち目のないため撤退し、アイルランド(ヨーク公とラットランド伯)、あるいはカレー(ソールズベリー伯、ウォリック伯、マーチ伯)へ落ち延びた。

翌朝、指揮官がいなくなったことを知ってヨーク派は雲散した。ヨーク派の拠点であるラドローはランカスター派に略奪されるがままだったという。