火葬場

土居斎苑(愛媛県四国中央市、2005年竣工)
岡崎市斎場(愛知県岡崎市、2016年竣工)

火葬場(かそうば、: crematory)とは、死体火葬するための施設

墓地、埋葬等に関する法律(昭和23年法律第48号)の第2条第7項において「この法律で「火葬場」とは、火葬を行うために、火葬場として都道府県知事の許可をうけた施設をいう」と、規定されている。

現代では斎場(さいじょう)とも称されるが、これは本来、祭祀儀礼を行う場所および、祭祀儀礼を行う施設全般を指す呼称であり、火葬設備を有せず通夜・告別式のみ行う施設で斎場と称するものも多い。また、「斎苑」「葬祭場」を名乗る施設も多いが、火葬場ではない葬儀施設である場合もあるので、混同しない注意が必要である。2015年現在、日本の火葬率は99.986%にのぼり[注 1]、これは世界で最も高い部類に入る。火葬場がない離島など、遺体を本土に搬送しないと火葬できない場合は搬送費用が高額になるので遺体のまま埋葬することがあるが、それ以外では基本的に火葬される。

歴史

古代

火葬は、日本では宗教的要請から発生したとする説が有力である。当初は恒久的な「火葬場」は設けられず、高貴な身分層の火葬では周囲に幕や板塀などを巡らせた火床をその都度仮設して火葬が行われていた[2]

奈良時代後半から平安時代まで、天皇の火葬を行う場所は「山作所」と呼ばれていた。これは天皇の火葬を行った跡地は陵墓に準ずる「火葬塚」を築造することが多く、皇族御用の林野作業所や陵墓営繕工事現場を表す「山作所」の呼称をあてたものと思われる。また、同じころ天皇家以外では火葬を行う場所を「三昧(さんまい)」または「三昧場」と呼ぶようになった。

中世に近づくと庶民にも火葬を行う者が現れ、人里離れた野原で木薪を組み上げてその上に遺体を載せてで焚焼していた。このように火葬を行うための建物や炉などの恒久的設備を設けず野外で行う火葬は「野焼き」と呼ばれており、江戸時代末までは大多数の火葬場が「野焼き場」だった。野焼き場は明治時代より急速に減少するが、地域によっては県知事から正式な火葬場としての許可を受けて、平成に入ってからも存続しており、極わずかだが使用されている野焼き場もある[注 2]

中世

中世になってからは墓地の傍らなどに、棺桶より一回り大きい程度の浅いを掘って土器などで枠組みするなどした恒久的な火床を設けて、そこで火葬が行われることが増えてきた。

平安時代になると、皇族や貴族僧侶では火葬が主流になった[3]。また、一般庶民では浄土真宗の普及に伴って、浄土真宗門徒を中心に火葬を行うものが多くなり、各地に野焼場が設けられた。ただ、浄土真宗門徒以外の庶民の間では、鎌倉時代ころまでは、風葬も広く行われ、遺体を墓地や山林に放置していた。鎌倉時代以降は仏教の普及に伴って、庶民の間に念仏講や無常講、葬式組などの葬式互助組織が普及し始めたと考えられ、風葬は徐々に減少して土葬や火葬が行われるようになった。浄土宗が普及した地域では、集落や講組の共有施設として庶民が自力設営した火葬場が目立つ。

京都大阪の市街では宗教教義に従って火葬を選ぶ者のほかに、墓地の狭隘化や無秩序な風葬(要するに屍体遺棄)対策として火葬を奨励する向きもあり、有力寺院が設営した火葬場が多い。鎌倉時代には、禅宗僧侶も一般火葬を行うようになって、武士層の火葬も増えている[4][5]

京都、大阪などは都市の形成に伴って火葬場の数を増やしていったが、京都では秀吉廟の建造の際に鳥辺野の火葬場の臭気が疎まれて移転させられた。

近世

江戸東京)では江戸幕府が開かれ市街が形成されるに伴って、寺院や墓地に火葬場が設けられるようになり、徐々にその数を増やしていった。都市部では寺院が経営するものが多く、古地図に「火葬寺」や「○○寺火屋」などの表示が見られる。

1650年ごろには江戸市中の浅草下谷のほとんどの寺院が境内に火葬場を有していた。寛文7年(1667年)には4代将軍徳川家綱上野寛永寺へ墓参に赴いた際に、火葬の臭煙が及んだことが問題になって、浅草や下谷に散在していた20数ケ寺の境内火葬場を小塚原刑場近くに設けた幕府指定地へ集合移転させた。小塚原火葬場が開業するときには火葬料金を届け出て明示する事や明示された料金以外の金品受け取りを禁止する事、昼間火葬の禁止、日没後に役人が叩く鐘を合図に点火する等の規則が定められている[6]。小塚原火葬場はその後明治20年(1887年)に操業停止するまでの220年間に亘り江戸最大の火葬場として存続する。[7][8][9]

京都市中では、有力寺院が設けた規模の大きな火葬場が多く、檀信徒、門徒以外の者や他宗派の者も火葬していた。鳥辺野や狐塚の火葬場は特に有名で、1700年ごろの西本願寺文献では火葬場を支配する者を煙亡(オンボウ)[注 3] と称し、西本願寺内の花畠町に住宅を与えていて、この地が「煙亡町」と呼ばれていた事や煙亡の業務内容の詳細を記している[10][11][12]

大阪市中では、河内七墓または大阪七墓と称される有名墓地[注 4] があり火葬場を有していて、これらを記した小説や古書が数多い。江戸時代には「土一升、金一升」と言われるほど土地が貴重であり、庶民は墓地を得るのが難しかったので、火葬が普及したとする説もある[13]

江戸時代の火葬、『日本の礼儀と習慣のスケッチ』より、1867年出版

江戸時代中期ごろになると、硬質良土を敷き込んで整地した上に火床を作り、火床より数尺離れた四隅に柱を建てて簡易な屋根を掛けたものや、積雪地帯では切出石を積み上げた強固な壁の上に本格的な瓦屋根を載せた4-6畳ほどの小屋を造り、その中心に溝形火床を掘り込むなどした「建築物」と呼べる火葬場が現れてきた。

この頃から火葬場は、「三昧」「荼毘場」と共に「火屋」「火家」「龕屋」(いずれも「ひや」と読む)と呼ばれるようになった。

1800年ごろになると、貴族や武家など支配階級を中心に火葬率が低下して土葬に回帰している。これは、火葬を禁忌とする儒教や神道が普及したこと、天皇や将軍が土葬化したことに倣ったものと考えられている。しかし、都市部の庶民層や浄土真宗が普及した地域では、火葬率低下は見られず、火葬率は上昇していった[14][15]

江戸時代終末までは常設の「火葬場」と言っても何ら設備の無い平地火床であったり、地面に掘り込んだ溝形火床の縁に石や土器などを用いて耐火性の枠を巡らせた程度の開放構造が多く、「炉」とは呼び難いものであったが、明治時代に入るころ火葬習慣が普及した地域の一部で、切出石[注 5] や煉瓦を用いてトンネル状燃焼室と煙突を構築し、金属製炉扉(燃焼室の蓋)を備えた「火葬炉」が築造されるようになった。同時期に外国から導入した製鉄用反射炉や煉瓦焼成窯の技術を応用したものと思われる。この炉室と煙突を備えた火葬炉は、点火して炉扉を閉じれば吸気孔と煙突以外に開口部を有しない閉鎖構造なので燃焼室内の高温維持が容易であり、開放状態で燃焼させる「野焼き」や「溝形火床」と比べて、少ない燃料(木薪や木炭)で火葬完了出来る、準備と片付けに要する人員が少なくて済む、火葬作業従事者が燃焼中の遺体を直視しないで済む、遺体の燃え残りや残炭が少ない、煙突効果で地上に降散する臭気や煤煙を低減できるなど、喪家の金銭的負担や火葬作業従事者の苦渋を大いに緩和すると共に近隣住民に及ぼす臭煙も低減できたので、東京市内や京都では明治初期に新規開業した大規模火葬場[注 6] で採用されて重油焚きの火葬炉に置き換わる昭和初期まで使用された。また、火葬率が高かった近畿・北陸・中国地方[注 7] では、明治から昭和中期にかけての長きに亘り個人所有または集落や自治会が所有する簡易な火葬場へも普及した。

この煙突と炉扉を備えた燃焼室型の木薪炉は明治時代初期から後期にかけて築造されたものは座棺専用が大多数であり、およそ明治時代後期以降に築造されたものでは、座棺と寝棺の兼用あるいは寝棺専用のものが見られる。

この頃、近畿以西では「火屋」または「三昧」[注 8] と称呼する地域が増えていたが、関東以北では「火屋」と「三昧」の呼称を用いる地域が減少して、「焼き場」や「竃場」(かまば)と言った呼称が多用されるようになっていた。

近現代

明治時代

明治時代に至るまでは、火葬が増えてきたと言っても、火葬を奨励する仏教宗派の門徒や信者が多い地域や、人口密度が高く土地が逼迫したごく一部の地域に限ったことで、全国的に見れば日本の葬送儀礼として火葬は決して主流ではなかった。明治時代に入ると故郷を離れて進学したり就業する者が激増するが、このような者が亡くなった場合、当時の交通事情では遺体を長距離搬送することは極めて困難であり、火葬して焼骨にすれば持ち運びが可能になり故郷の家族墓に葬る事が可能になる事や、墓地の新設や拡張を厳しく制限する法令が施行されたため、焼骨にすれば墓地の土地面積が節約できるなどのメリットが徐々に浸透して火葬が普及していった。また、伝染病屍体の火葬を義務付ける法令規則の施行、人口増加が著しい市街地では明治時代以降、埋葬(土葬)を禁止して既存墓地へ焼骨を埋蔵することのみ許可される土葬禁止区域が設定された事も火葬普及の一因である。火葬の普及と共に仏教者以外の者や自治体による経営が増えて、墓地とは無関係に独立した火葬専門の施設が設置されることが多くなる。

明治時代に入ると新政府は東京の市街地に近接する火葬場の臭気や煤煙が近隣住民の健康を害している問題[注 9] に際し、政府内神道派の主義主張を取り入れて、明治6年(1873年)7月18日に一般火葬の禁止を布告[16] するが、都市部では埋葬(土葬)用墓地の地代が急騰したり、明治時代以前より火葬率が高かった地域では、そもそも焼骨埋蔵用墓地へ埋蔵するか所属寺納骨堂へ収蔵するのが主であり、墓地自体を設けていない地区が多かったり、埋葬(土葬)用墓地が極端に少なかったため、新たな埋葬受け入れは不可能となる墓地も出てきて埋葬用墓地の許可を受けていない墓地以外の地所に死体を不法遺棄する例も多発して混迷を極めた。しかし、衛生上人道上の問題があまりにも深刻かつ、都市部で埋葬用墓地が増加することは高税地が無税地化することであり、埋葬墓地が増加すれば、将来都市計画上大きな問題を起こすと大蔵省も火葬禁止令に反対し、仏教指導者や大学者からも火葬再開を訴える建白書が相次いだことから、この火葬禁止布告は約2年後の明治8年(1875年)5月23日に廃止[17] され、その後明治政府は火葬場問題から宗教的視点を排して公衆衛生的観点から火葬場を指導するようになり、火葬を推進するようになった。この火葬禁止期間は多くの人々に火葬の必要性を再認識させることになり、火葬禁止布告が廃止されると、今まで寺付属や集落または個人所有の簡易な火葬場しかなかった町村の長をはじめ、多くの財閥や資産家からも火葬場建設請願(火葬場新設許可申請)が出された。

新政府や地方行政府は明治時代初頭から「火葬」「火葬場」という呼称を用い始めたが、暫くは公文書上に「梵焼」「火屋」「焼場」「焼屍爐」などの記述もあって混用していたようである。明治17年(1884年)に布告された「墓地及埋葬取締規則」[18] の第一条では「墓地及ヒ火葬場ハ管轄帳ヨリ許可シタル区域ニ限ルモノトス」と規定しており、これ以降の公文書では一貫して「火葬場」と記述するようになり、同時期に新聞や書籍でも「火葬場」という記述が一般化した。また、政府は同年11月18日に「墓地及埋葬取締規則ヲ施行スル方法(細目)ヲ警視総監・府知事・県令デ定メテ内務卿へ届ケ出ルベシ」とし、細目標準を各府県に提示した[19]。細目標準の第6条・第7条では火葬場に関する規制を定めており、人家や人民輻輳地(人が集まる場所、交通量の多い場所)から百二十間(218m)以上離れた風上以外の場所を選べ、爐筒(耐火物で囲われた燃焼室)と烟筒(煙突)を備えて臭煙害を防げ、周囲に塀または柵を設けて敷地境界を明確にせよ、火葬はなるべく日没後に行え、と規定していた。

火葬場に関する規則を定めていなかった各県ではこれを受けて、具体的な離隔距離、操業を許可する時間[注 10]、炉の構造概要など、ほぼ細目標準に準じた内容の取締細目を定めて施行した。

防疫衛生面では、明治時代初頭から度々伝染病が流行していて、政府はその度に、伝染病屍体の埋葬(土葬)に制限を附して伝染病屍体は原則火葬としなければならないとする旨の規則[20] や法律[21] を布告したので、火葬習慣の無かった地域では自治体主導で火葬場の新設が進むようになった。

明治19年(1888年)のコレラ大流行時に病屍体の火葬が渋滞し、樽桶に収めて野積みされた病屍体が腐乱するなど処置に混乱をきたした東京府は、火葬場臭煙害の防止と伝染病流行時の火葬能力維持および、墓地及び埋葬取締規則施行方法細目標準と東京府火葬場取締規則の相違点を整合させる目的から、明治20年(1887年)4月11日に東京府火葬場取締規則を改正[22] し、府内の火葬場数制限を5から8箇所にする事、操業時間は、日没から翌朝日の出までとする事、火葬炉は25基以上備える事、煙突高さを60尺(約18m)以上とする事、人家より百二十間(218m)以上隔てる事、伝染病患者排泄物用焼却炉と消毒所を併設する事などを定めた[注 11]

他府県でも東京府の火葬場取締規則改正に倣って、操業時間、煙突高さ、伝染病患者排泄物用焼却炉や産褥物胞衣汚物[注 12] 用火葬炉の併設を追加規定した自治体が多い。

江戸時代から220年に亘り江戸最大規模を誇っていた小塚原火葬場は、明治8年(1875年)の火葬禁止令廃止後、当時最新の煉瓦造木薪火葬炉と煙突、瓦屋根漆喰塗壁の建屋を備えた火葬場へと改築して明治9年(1876年)6月より操業していたが、この明治20年・火葬場取締規則改正により、第七条ノ一「人家より百二十間以上隔てる」の項目で不適格となってしまって操業停止に追い込まれた。これにより東京(江戸)にて最大かつ最長の歴史を持つ火葬地が消えることになった。小塚原火葬場の各営業人は、その後移転先を求めるが見つからず、明治21年(1887年)12月14日・東京市区改正設計(都市計画)委員会にて北豊島郡町屋村に火葬場用地が定められたのを受け、町屋火葬会社を設立して、明治26年(1893年)に操業開始した[注 13][23][24]

都市部では明治時代後期頃より、宗教団体や民間が所有または経営する火葬場や野焼き場を統廃合して自治体や行政組合の経営および、無煙化無臭化の新案を凝らした近代的火葬炉を備えた火葬場が増えていくことになる[注 14][注 15][注 16]。ただし、東京府(現在の23区に該当する区域)は例外であり、公営火葬場の設営が進まぬ中、一株式会社が合併吸収を繰り返して多数の火葬場を経営していくことになる。また、同じ頃から製材技術の進歩や葬祭業界の発展により、寝棺の価格が下がり一般庶民でも入手容易になるにつれ、座棺用火葬炉が減少して寝棺用火葬炉を備える火葬場が増えていく。

大正時代

明治時代までの主たる火葬燃料は、・木薪・木炭であり、日没後に火葬開始(点火)して翌朝に拾骨するのが普通(多くの自治体で日中火葬を禁止していた)であったが、大正時代後半には、電気式火葬炉[25]石炭コークスを用いる火葬炉、電動送風機と重油バーナーを併用する火葬炉[26] が出現して燃焼速度が飛躍的に速まり、即日拾骨が可能になった。また、即日拾骨が可能になると、火葬場内に会葬者用控室や休憩室を設ける施設が増えていく。

昭和時代以降

昭和時代の火葬場(上:三重県の古い火葬場。右の煉瓦造りのものが火葬炉。
下:平成時代に完成した東京臨海斎場。)
デザイン性を重視した斎場も増えている(川口市めぐりの森

昭和に入ると、重油焚き火葬炉と高煙突を設備した火葬場は、木薪や木炭を燃料とする火葬炉と比べて短時間[注 17] で火葬可能かつ煤煙や臭気の排出が少ないとして、昼間操業を許可される火葬場が増えていく[27]。この頃より、都市部では火葬場内に通夜、告別式を行える式場を併設したり、施設名称に「葬斎場」「斎場」「斎苑」を用いる火葬場が増えてくる。

昭和初期から中期にかけては、現代の火葬炉とほぼ同様な「台車式」と「ロストル式」の炉構造が確立して普及すると共に煙突の長大化が進んだ[注 18]。それと、全国的に寺院風デザインの火葬場建屋が新築されていることが目立つ。仏教系組織が経営する火葬場では当然と言えるが、自治体直営の施設にも多数の例があり、中には迎え地蔵や六地蔵を設置した自治体も有る。

太平洋戦争第二次世界大戦)開戦から、昭和20年代末にかけては、石油系燃料の入手が困難になったり、一部地域で葬儀資材節約の目的から座棺の復活などがあり、石炭炉または石炭重油兼用炉を設置したり、廃止または休止していた木薪炉や座棺用火葬炉を復活させる火葬場もあった。

昭和30年代になり石油系燃料の流通が安定して入手容易になると、多くの火葬場で木薪炉や石炭炉を廃止して寝棺用重油炉を新設する改装工事が行われたが、北海道・東北・九州の炭鉱地帯やそれに近接する地域では、昭和後期まで石炭炉や石炭重油兼用炉を用いていた火葬場もある。

古くから火葬が普及していた地域の個人所有または集落や自治会が所有する簡易な火葬場では、露天野焼き場を耐火レンガ製溝形火床へ改良して屋根を掛けたり、藁・木薪・木炭を燃料とする旧式簡易炉から灯油バーナーを用いる寝棺炉へ改良した例が多く見られる。

昭和40年頃から昭和50年代にかけては、都市部の火葬場設営者や火葬場建設を得意とする築炉業者を中心に火葬場から排出される煤煙や臭気を抑制する研究開発が活発になり、集合煙道途中に水シャワー(スクラバー装置)を設けて飛灰や煤を水溶回収したり、煙突直前に電気集塵機やバグ(繊維膜)フィルターを挿入するなどの煤煙除去努力が試みられて、黒煙や火の粉を減らす効果は得られたが、強酸性廃水やダイオキシンなどの強毒性物質を濃縮した煤灰を副生成してしまって処分が困難になるなどの問題を生じてしまった。その後、燃焼速度と燃焼温度を適切にすれば煤や有害物質も分解されることが明らかになり 現在の1基ごとに独立した火葬炉の直上に再燃焼炉を一体化した方式へと発展した。再燃焼炉の技術的進歩と共に、木薪や重油より煤煙や悪臭の原因となる物質含有量が少ない灯油や都市ガス・液化石油ガス(LPG)を火葬燃料に用いるようになって排煙が透明化され臭気の排出も僅少になると、火葬場の象徴とも言える高い煙突を廃して火葬場敷地外からは視認し難い短煙突や非定型排煙口を採用した設計が主流になった。火葬炉に接する職員の労働安全衛生環境の向上と作業負荷軽減の面では、電気計装盤からの間接操作、基本的操作手順の自動制御化、職員の火傷や挟まれ事故が多発していた耐火扉や炉内台車引き出し装置などを電動化したものが導入され始めた。火葬場利用者のためには火葬炉から漏れる臭気や燃焼騒音を遮蔽し、焼け爛れた炉内を見せない配慮から火葬炉前室が開発された。このように火葬場の低公害化近代化が進む中、一部の火葬場では建設費低減と1炉/1日あたりの火葬可能数を増やして経営効率を上げることを優先したのか、直上再燃焼炉を設けず高煙突と重油ガンバーナー付ロストル炉を採用し、前室も制御装置も設けていない火葬場を新築した例も散見され、火葬場設営者の思想格差が大きい。

明治から昭和末期までの間に設置された火葬場で、少数特殊な例としては、日本軍施設の火葬場、避病院(伝染病患者隔離病舎)の敷地内または隣地に設置された火葬場、鉱山や炭鉱経営者が事業所に設置した火葬場、工期の長いトンネルやダム工事現場付近に事業者が仮設した火葬場、ハンセン病療養所内に国が設置した火葬場、国立大学医学部構内に設置された火葬炉などがある。これら火葬場のほとんどは事業の完了または、廃止に伴って解体撤去されているが、国立ハンセン病療養所内に設置された火葬場は廃止された後でも多くが現存しており、一部には保存展示、一般公開されている火葬場(炉)もある。

昭和後期以降、およそ昭和50年頃からは公害物質の排出抑制や排煙の透明化の必要性、火葬場近隣住民への配慮、火葬場利用者へのサービス向上の目的から火葬炉構造の他、排煙装置・火葬場建築・立地造成の何れも大きく改良改善され進歩している。詳しくは次節「現代の火葬場」へ譲る。

なお、平成も20年を過ぎて高度に機械化されてコンピュータが燃焼制御する火葬炉も当たり前となりつつあるが、中国地方山間部の一部では簡単な煉瓦火床に稲藁を積み上げて一昼夜かけて焚焼するという、江戸時代中後期と同等な方法で火葬を行なっている集落も現存している。

冒頭で述べたとおり、2015年現在、日本の火葬率は99.986%に上るが、60%を超えたのは1960年代で、東北地方では、土葬を尊び、土葬が可能な地域が多い奥会津地方では1990年代後半まで土葬が残っていた[28]

現代の火葬場

概要

旧式の火葬場(網走市八坂(旧)火葬場(2010年11月に新しい火葬場に建て替えられており画像の建物は現存しない) 北海道網走市

都市部以外の農村漁村地帯や山間部で恒久的火葬炉を備えた初期の火葬場は、木材や藁を燃料とした簡易な火葬炉があるだけ、あるいは集落の墓地に付属する火葬炉といった素朴・単純なものだった。この簡易な火葬場は無くなったわけではなく、北陸、近畿、中国地方では、個人所有または集落や自治会所有でありながら、府県知事または保健所長の許可を受けた正式な火葬場として多数現存している。但し、管理放棄されて実用不可能となった施設や長期間使用されていない施設が大多数である。これは、近隣住民同士で葬儀や火葬埋葬の作業に協力する「講(こう)」や「組(くみ)」等の互助組織の衰退が著しいこと、簡易な火葬場で火葬を行うための知識技術を持った者が激減してしまったことと、交通事情が良くなって多少遠方でも新しい公営火葬場を利用した方が手間や費用を小さくできるようになったためである。

およそ昭和中期以降に建設された火葬場では、従前多用されていた仏教色の強いデザインを排して宗教色を感じさせないデザインが主流となった。また、火葬炉と炉前ホールの他に、骨上げを行う収骨室や、他の遺族と交わらずに棺の小窓を開けて最後の別れができる告別室が備えられていることが多い。一部の大規模な火葬場は通夜葬儀が行えるように式場と親族控室、遺体用冷蔵庫を備えた霊安室を併設しており、売店や骨上げまでの待合室として喫茶室やレストランなどが設けられている総合斎場もある。

台車式火葬炉の前室(土居斎苑 愛媛県四国中央市
建物は既存のままで、再燃炉付きの火葬炉に更新した火葬場の例

火葬炉の構造

現在の火葬炉は、大きく「台車式」と「ロストル式」の2種類に分けることができる。いずれも異なる長所と短所を有しており、火葬場設置者の判断によって選択される。平成に入ってから建設された火葬場では、97%以上の施設で台車式が採用されており、ロストル式を採用した施設は3%未満である。また、これまでロストル式を使用してきた施設でも、老朽化で改築した際に台車式に変更した例もある。

点火に先立ち火葬場職員が押すボタンは(施設によっては遺族が押す場合もある)直接の点火ボタンではなく、作業員に合図を送るためのボタンである。この合図を受けた作業員は安全確認後、点火する。台車式が60分を要するのに対し、ロストル式は40分で焼ける。火葬終了後、30分程度の冷却を経て遺族に遺骨を引き渡す。火葬時間を短縮するだけであれば、火力の設定を高くすればよいのだが(現在の火葬炉は1500℃まで設定可能)、温度が高すぎるとまで焼けて遺骨がきれいに残らない。遺骨をきれいに残すには設定温度を低めに設定し時間をかけて火葬すればいいのだが、仮に頭蓋骨骨盤はきれいに残っても、骨壺には入りきらない。かつ、800℃以下の場合はダイオキシン、1000℃以上の場合は窒素酸化物の発生が懸念される。火葬炉も大気汚染防止法ゴミ焼却炉などの規制による数値をもとにした地方自治体独自の規制に則している。また、ダイオキシンに関しては国のガイドラインも遵守しなければならない[29]

台車式

車輪を有する鉄製枠の上面に耐火レンガまたは耐火キャスタブル製の床板を張った台車が炉室床の機能を有しており、その台車上に、五徳などを挟んでを置き、台ごと火葬炉に入れて焼く方式である。火葬開始直後は棺の下側からもバーナーの炎にさらされるが、棺が燃え尽きた後の遺体下面にはバーナーの炎が廻り難いので、骨化するまで時間がかかる。ロストル式が約40分に対し、台車式の場合は約60分を要する[29]。しかしながら、骨はあまり落差のない台車上に落ちるためにばらばらに散乱することがなく、ほぼ人体形状を保ったままきれいに残るという特徴がある。遺体がほぼ骨化した後は台車面にもバーナーの炎が到達するので、汚汁や難燃部位の不完全燃焼は生じにくく悪臭が少ない。ロストル式はもともとは、遺骨に対する扱いが全く違う海外から来た方式である。遺骨を残さない海外に対し、日本では釈迦が荼毘に付された時の遺骨を残す燃やし方である当時のインドの習慣から発生しているため遺骨が大切にされる。このため、現在の日本の火葬炉は台車式が主流になりつつある[29]

遺族参会者が立ち入る炉前ホールと火葬炉本体の間に「前室」を設けるのが最近の傾向であり、前室有りの場合は遺族参会者の目に触れることなく炉内工事や清掃、台車整備、火葬後の台車と焼骨の冷却、残骨灰の処理を行うことが可能であり、炉前ホールに漏れる燃焼音、熱気、臭気を極めて小さくできる。ただし、建設費はロストル式と比して高額になる。

火葬場により異なるが、1炉/1日あたりの火葬可能数は2~3体としている施設が多い。これは台車の冷却・清掃に要する時間に余裕をもたせたり、炉前ホールや収骨室で他家の参会者同士が輻輳したりしないように動線時間に余裕をもたせるなど、参会者の安全衛生確保と心情に配慮した運用上の事由に因るもので、技術的には1炉/1日あたり4体以上も可能である。

ロストル式

炉内にかけ渡した数本の金属棒で作られた格子の上に棺を直接載せて焼くという方式である。「ロストル」とは、食品を焼くストーブ等の火床格子を指すオランダ語の「rooster」が語源である。

人体のうち腹部の大腸小腸などの内臓部分は水分が多くここだけは焼けにくい。しかし、ロストルと炉底部の骨受皿の間は数十センチの空間があるため、棺が燃え尽きた後も炎は遺体の下にも回り、台車式より短時間で骨化することができる[29]。しかしながら、骨は格子から落差がある骨受皿に落ちるため、多くの場合位置関係はばらばらになる。ロストルは間隔の広い格子状なので、遺体下面の燃焼が促進されるが汚汁や難燃部位が骨受皿へ落下しやすい。骨受皿は構造上バーナー炎をあまり当てられないのでロストル位置より温度が低く、落下した汚汁や難燃部位が残りやすいので悪臭を生じやすい。

前室を設けるのは骨受皿を炉前ホール側へ引き出すタイプでは技術的に困難であり、炉前ホールに漏れる燃焼音、熱気、臭気が大きい。建設費は台車式と比して低廉である。また、骨受皿を入れ替えれば炉内を冷却する事なく次の火葬を開始可能なので熱効率が高い上に1炉/1日当たりの火葬回数を多く出来る。東京や京都の大規模火葬場ではロストル式を採用している施設が多い。ホールで他家の参会者同士が輻輳することが避けられないが、京都市中央斎場の様に1炉/1日あたり最大5体の火葬を実施している施設がある。

骨上げ

火葬後には骨が残される。骨上げでは、西日本は主要な骨のみを骨壺に収める部分拾骨のため骨壺も小さく、拾骨されなかったものは火葬場に残される。部分拾骨は富山県、岐阜県、愛知県を含む西日本側が部分拾骨である。東日本では基本的にすべての骨を骨壺に収める全骨拾骨で骨壺も大きい。多少の残灰が残される場合がある。骨壺に入れられなかった残骨灰の処理は火葬場により多様であるが、場内の慰霊墳墓や公営墓地で合葬される例が多い。一部では専門業者が回収し、骨の治療などで体内に金属が残留している遺体の場合は、コバルトニッケルチタンなど希少金属貴金属の選別回収を経て合葬または埋め立て処分されている。

近年における火葬場の変遷

昭和初期から末期にかけては、高い煙突が火葬場の象徴ともなっていたが、およそ1990年代以降に新設された火葬場において、煙突が見られることはほとんどない。

これは1970年代後半から、燃料の灯油化・ガス化により煤煙が減少したこと、火葬炉排煙の再燃焼処理や集塵装置の普及により、排煙の透明化や臭気の除去が進んだことにより、極端に短い煙突(施設によっては煙突すらなく、排気口となっているところもある)でも悪影響が無いこと、社会的には火葬場がそばにあることへの近隣住民の拒否感に配慮して「火葬場らしくない」意匠を取り入れるように、設計思想が進歩したものによるものである。

昭和初期から後期にかけての主たる燃料は、重油、産炭地では石炭コークスであったが、昭和後期以降からは白灯油、特に2000年頃からは都市ガス液化石油ガス(LPG)が増加しつつある。大正から昭和中期には、極少数ながら電気炉も存在したが、保守・清掃に非常に手間が掛かることや、石油系燃料費と比して電気料金が相当高額になるため衰退した。

火葬場は「迷惑施設の一例」として、新設・改築・移転には、当該地域の住民による反対運動が起こりやすい。そこでいくつかの自治体が集まって一部事務組合や広域連合を設立し、広域斎場を設けることで、リスクを低減することを図る傾向がある。同様の事情から、住宅地から離れた場所に立地しようとするのが一般的だが、日本の都市事情を考慮すると、必ずしもそのような場所に作れるとは限らない。

そのため、都市部のような場所においては、周辺を樹木で囲む・ぱっと見ただけでは火葬場とはわからない外観など、周辺地域に配慮した立地となっている。霊柩車についても、宮型のものは使用・乗り入れの自粛を要請したり、出入り禁止したりする場合がある[30]

また、火葬場の名称も「~斎場」「~斎苑」「~聖苑」などが多く、「~火葬場」とする施設は激減している(もっとも、「××斎場」を名乗る火葬場でも、式場を併設する場合はこちらを「斎場棟」と呼ぶことが多い)。長大な煙突を有していたり、可視煙を排出するような旧式の火葬場は、改装・移転にともなって、急速に姿を消しつつある。

なお、現行の都市計画法においては、都市施設の一つとして「火葬場」が規定されており、建築基準法第51条により、都市計画区域内に火葬場を新築または増築する場合は、原則都市計画決定が必要である。

火葬場経営は、主に各市町村の清掃・衛生関連部署による運営や、複数の市町村が一部事務組合を結成して共同運営しているものが多いが、一部民営・業務委託・半官半民(PFI)といった形態で設置・運営しているものもある。また宗教団体や株式会社が経営する民営火葬場は、全国に約21施設が定常的に営業している。

特に東京都区部では、江戸時代末期から明治に、寺院や匿名出資者が経営していた火葬場や、民間企業が経営していた火葬場を統合合併した株式会社の火葬場が主であり、2014年5月現在、他地域の公営火葬場主流に対して、公営が2施設(炉数計30基)、民営が2社7施設(炉数計76基)である。

なお、これら株式会社経営の火葬場について、厚生労働省は令和4年11月24日付で「火葬場経営が利益追求の手段となって、利用者が犠牲になるようなことはあってはならない」との通達を各自治体宛に出した。

火葬から収骨まで

骨上げの様子(土居斎苑 愛媛県四国中央市)

日本では、火葬後に骨上げを行い骨壷に収めるという流れになっているため、炉前で遺体を見送り、火葬後に拾骨するというところまでがセットになっている。また、骨上げをする関係から骨をきれいに残すことが重視され、その業務の性質上やり直しができないので、故人の年齢や死因、生前の持病を考慮しながら焼くなど、火葬技術者には独特の高度な技術が求められている。

火葬による環境破壊

厚生労働省による研究費補助の対象となった調査で、棺を乗せるステンレス台が長く高温に晒されることにより、焼却灰中に六価クロムなどの有害な物質が発生することが明らかとなった[31]。調査にあたった研究者は、有害物質を出さない材質のものに変えるなどの措置をとる必要があるとしている。

またこれとは別に、ダイオキシン発生を抑止する観点から、多くの火葬場において、副葬品の内容に制限を加えている。しかし一方で、茨城県つくば市の市営斎場「つくばメモリアルホール」で2020年頃から、葬祭会館から送られてきた棺を係員が無断で開け、副葬品を取り出し、ごみ袋に入れて葬祭会館に返却したりしたことが明らかになった。同メモリアルホールでは、爆発の危険性がある物や、燃焼温度が高温になり過ぎて遺骨が損傷したり、土台に付着してしまう例があったことを理由にしているが、葬祭会館を運営する葬祭業者側からは怒りの声が出ている[32]

廃熱利用

中華民国台湾)の台北市第二葬儀場は火葬炉の廃熱で発電火力発電汽力発電)を行っている[33]。また、英国イングランドレディッチの区議会は2011年2月8日、火葬場の廃熱を暖房温水プールに利用することを承認した[34][35]

大災害と火葬場

東日本大震災の場合

2011年3月11日発生した東日本大震災では、東北地方を中心に死者15,891人(行方不明者2,579人)を出したが、津波による死者など海岸線での遺体捜索や収容作業が難航、同時に被災地の火葬場は小規模なものが多く、停電、燃料不足、火葬場自体の津波被害で機能が停止し、多くの遺体が遠方の火葬場へ送られた[36][37]

しかし火葬は遅れ、公衆衛生上保全が困難な遺体は2年を期限に宮城県の約2,000体が土葬による仮埋葬された[38]。火葬の進捗により、その後仮埋葬は中止され、一旦は埋葬された遺体も掘り返され再納棺の後、火葬されたが、この作業は盛夏の8月半ばまで続いた。

しかし現代日本で使用されるは、火葬に適すように軽く燃えやすい構造となっているため、1mより深く埋葬される土の重みや湿気に耐えられず、掘り起こされた棺は既に崩壊状態であり、遺体は腐敗が激しい状態であったため、この腐敗した遺体を洗浄し再納棺する過酷な作業となった。この作業を行ったのは葬祭業者建設業者などであった[39]

それまで、東北は火葬化が遅れていたころから、土葬に親和性がある地域と考えられていたが、ようやく火葬された際には「火葬できた」と喜んで泣く遺族の姿もみられた。しかし、同じ避難所にまだ行方不明の家族を抱えている人たちも多くいたため、避難所内では火葬できたことの喜びや、遺体が発見されたことの喜びの感情を表出できずにいる者が多かった[28]

新たに火葬場の整備運営事業基本計画を立案しているところでは、災害に強い施設づくりを基本方針に掲げ、災害時においても、施設稼働が可能となる施設と火葬燃料・電力等の確保と備蓄などが検討されており、停電時でも火葬業務(火葬炉と火葬業務遂行のために最低限必要な設備)が可能な発電機設備の導入や、大規模災害時の対応として24時間稼働を考慮した計画を立案している自治体が存在する[40]

日本国外の火葬場

インド

ワーラーナシー

ヒンドゥー教徒が80%を占めるインドではヒンドゥー教の習慣に基づき、火葬が好まれる。火葬場は、河原などの野外に設けられており、薪を積み上げてその上に遺体を置いて点火する、いわゆる「野焼き」が主である。ヒンドゥー教では人々は生まれ変わるつど、苦しみに耐えねばならないとされるが、ワーラーナシー(日本語読みではバラナシ、ベナレスとも)のガンガー近くで死んだ者は、この苦しみの輪廻から解脱できると考えられている。ワーラーナシーは別名「大いなる火葬場」とも呼ばれており、年中煙の絶えることはない。インド各地から多い日は100体近い遺体があでやかな布にくるまれ運び込まれる。あるいは、死期が近づくとこの地に集まりひたすらを待つ人々もいる。彼らはムクティ・バワン(解脱の館)で家族に見守られながらひたすらを待つ。ムクティ・バワンでは四六時中絶えることなくヒンズー教の神の名が唱えられる。亡くなる者が最後の瞬間に神の名が聞こえるようにとの配慮である。南北6キロガンジスの岸辺のほぼ中央に位置し、数千年の歴史を持つマニカルニカー(「宝石の耳飾り」の意)・ガートは、沐浴場以外に火葬場としての機能も併せ持ち、死者はここでガンガーに浸されたのちにガートで荼毘に付され、遺灰はガンガーへ流される。金が無い者、乳児妊婦に噛まれて死んだ人は火葬されずにそのまま水葬される。町にはハリシュチャンドラ・ガートと呼ばれる、もう1つの火葬場があり、2つの火葬場はドームという同じ一族が取り仕切っており、働く人々も共通で、交代勤務で約650人が働いている。火葬場を見下ろす一角には、2つの火葬場を取り仕切ってきたドーム一族の長の座る場所があり、そこには聖なる火と呼ばれる種火が焚かれ、人々はこの火より火葬にする火種をもらう。火葬場の写真撮影は厳格に禁止されており、万が一見つかった場合は親族に殺されかかる場合や金品を要求されるトラブルもある。火葬場を中心に町には巡礼路が設けられ、インドの多くヒンドゥー教は一生に一度この巡礼路を歩くことを夢みている[41]

かつて、イギリスとインドの価値観(主にヒンドゥー教とキリスト教の死に対するもの)の違いや生理的嫌悪感から、イギリス人による火葬場の郊外への移転が企てられた。ワーラーナシーの人々は強い異議を唱えた。火葬論争は30年にわたって続いた。この際の記録が市公文書館に残されている。「ワーラーナシー市制報告書(1925年)」がそれであるが、ここにはこう記されている。「火葬場が町のために存在するのではない。町が火葬場のために存在するのである」。イギリスが認めざるを得なかった、ワーラーナシーの死の伝統である[42][43]

近年に至り、燃料としての木材伐採が環境破壊につながるとして深刻な問題となっており、また薪が高騰していることもあって、日本の技術を使った「近代的な」火葬炉も設置されている。しかしながら、上記の事情から古来からの伝統的野焼きにこだわる人がまだまだ多く、野焼きが続けられている。

ネパール

パシュパティナート火葬場

ネパールは、インド同様のヒンドゥー教主流の国であり、首都カトマンズにはパシュパティナート(Pashupatinath)というインド亜大陸の4大シヴァ寺院のひとつに数えられるネパール最大のヒンドゥー寺院があり、その裏側にはガンジス川の支流でもあるパグマティ川が流れており、河原のガートでは一日中火葬の煙が絶えることはない。カトマンズの朝霧は、火葬場のといわれるほどである。

上流階級の者ほど上流側のガートで焼かれる。輪廻転生を信じるヒンドゥー教徒はは作らない。焼かれた灰は箒とバケツの水でパグマティ川に無造作に流される。また、火葬の際には、親族の男性は火葬の傍らで髪を剃る習慣がある。

河原では、火葬台の脇で人々が沐浴をしたり、少年が遺体から流された供物を盗もうとして咎められたりする光景が始終見られる。寺院自体はヒンドゥー教徒以外は立ち入れないが、火葬場は有料ながら誰でも見学できる。

フィリピン

キリスト教国のフィリピンは土葬が基本であるが、近年では墓地不足などにより平均年収が約23万ペソの同国において葬儀費用が10万ペソと高額で墓地の維持費用もかかることから、5分の1程度で済む火葬を選択する者や、土葬していた遺体を火葬にする増えており、日本の業者も進出している[44]

欧米

欧米では、火葬場に遺体を預け、後日遺骨を受け取るという流れが多い。また、骨上げという習慣がなく、火葬後の骨は顆粒状に粉砕してさまざまな形をした遺骨入れに収めて引き渡すため、日本と比べると比較的高温で焼くことが多い。骨壷の形も、顆粒状の骨を入れられればいいため形にはあまり制約がなく、故人の趣味などに合わせた多様なものが準備されている。近年[いつ?]は日本にも、欧米流の遺骨を顆粒状に粉砕する装置を備えた火葬場も登場してきている。

韓国

大韓民国では、土葬が主流だったが、2000年代から火葬が増加してきており、2004~2005年にかけて火葬件数が土葬件数を上回るようになった[45]儒教国である韓国では伝統的に火葬は先祖に対する不孝であり禁忌とされ、キリスト教の影響も大きいことから土葬が続いていたが、特にソウル都市圏においての墓地逼迫は社会問題化し、ソウルは元より他の大都市圏においても火葬は一般化しつつある。しかし、2007年段階で火葬場は韓国全土で47ヶ所・220炉程度に過ぎず、火葬場不足が深刻となっている。また、過去に土葬された遺体を改めて火葬するという事例も増えているが、改葬遺骨の火葬についてドラム缶などを使った違法な火葬が跋扈し社会問題となっている。

2012年竣工のソウル市火葬場は、竣工まで近隣住民の反対のため14年を要したが、巨大な美術館のような外観で最新のデザインを取り入れ、実際にミュージアムを併設している。住民の納得を得るためもあって、徹底的に環境問題に配慮し、火葬炉も最新鋭技術によりコンピューター制御され、焼いた骨はロボットが運ぶなど世界でも最新の設備を誇る施設となっている[46]

アイヌ

アイヌは伝統的に土葬であったが、仏教の影響や日本政府の指導により火葬されるようになった。

建築物としての火葬場

建築物としての火葬場は、デザイン性や機能性を追及したものがあり、日本の火葬場においては著名な建築家が設計したものがある。ここでは一例を挙げる。

火葬炉メーカー

  • 富士建設工業株式会社(新潟市) - 特許多数保有し、日本国外へも進出[47]
  • 宮本工業所 - 無臭火葬炉で特許をもつ[48]
  • 太陽築炉工業 - 火葬炉本体とコントロールシステムのハード・ソフトともに自社開発製品である[49]
  • 高砂炉材工業(東京都中央区)[50]
  • 開邦工業沖縄県うるま市[51]

脚注

注釈

  1. ^ 厚生労働省 平成27年度衛生行政報告例[1]、 第4章 生活衛生 「6 埋葬及び火葬の死体・死胎数並びに改葬数」による。これによると、平成27年度の死体取扱数は1,323,473体で、うち火葬は1,323,288体となっている。この割合はこの火葬数/死体取扱数を求めたものである。
  2. ^ 特に新潟県広島県に多く現存している。厚生労働者衛生行政報告例統計、両県の衛生統計資料より
  3. ^ 「オンボウ」については地域や時代によってその実状は大きく異なっており、固定された職業身分呼称である他に、僧侶の身分を有さず寺院雑務を行う者を指していたり、寺院に定住せず葬祭実務全般を請負う事を業とした者を指していた地域もある。中世大阪では寺社奉行支配の一端に属し、火葬埋葬の役に従事しながら変死者や異常屍体を検査して届け出る役目を負っていた例もある。また記述に関しては文献により「煙亡」「煙坊」「隠亡」「隠坊」「御坊」などと一定しておらず、時代変化も大きい。その他に火葬業務従事者を指す呼称としては「聖」(ヒジリ)や「三昧聖」(サンマイヒジリ)を多用していた地域もある。「オンボウ」も「ヒジリ」も身分差別や職業差別の意図を持って称呼された歴史が長く、現代では宗教学、民俗学、歴史学において必要な場合以外の実生活では用いるべきではない。
  4. ^ 梅田、南濱、葭原、蒲生、小橋、千日、鳶田
  5. ^ 栃木県や、栃木から水運の便が良かった埼玉、東京では大谷石を用いた火葬炉や焼却炉、竈が多く見られた。
  6. ^ 明治9年(1876年)、東京府・小塚原火葬場全面改築操業再開。明治11年(1878年)、京都府・東西両本願寺花山火葬場新規開業(各本願寺とも松薪炉14基、計28基)
  7. ^ 大阪・奈良・三重・岐阜・石川・福井・広島・岡山など
  8. ^ 凡そ石川県、岐阜県、三重県より西の地域では、火葬場を有しない土葬用墓地または集落共有墓地を「三眛」と称呼している地域が多数あり、火葬場や墓地に付属する火葬炉と言うよりは、葬送儀礼上の遺体の終着点という意味合いで「三眛」と称呼している地域も多いので「三眛」が火葬場のみを指す呼称でないことに注意が必要
  9. ^ 火葬禁止布告は、警保寮(当時、保健・衛生・墓地埋葬に関する許認可事務・取締は警視庁の前身である警保寮が担当していた)が「東京の深川と千住(小塚原)の火葬場が排出する煤煙と悪臭が付近の市街に蔓延して堪え難き状態かつ健康を害しているので、人家近くの火葬を禁止して、人家に悪臭や煤煙が届かない場所へ火葬場を移転できないか検討して欲しい」と、司法省に伺いを出したことに端を発する。警保寮には宗教的意図は無く、純粋に公衆衛生問題からの伺いであった。伺いを受けた司法省は太政官に上申し、太政官は神道派が主張する「火葬は仏教葬法であり廃止すべき」との主張を採って「火葬禁止を布告したい」と教部省へ諮問したところ、教部省は土葬用墓地の不足を心配して東京府・京都府・大阪府に調査を下命し、東京府・京都府から「土葬用墓地枯渇の虞は低い」、大阪府からは「土葬可能な墓地用地は逼迫しているが火葬が禁止されても40~50日は差し支え無い。引続き調査する」との回答を得られたことから、急ぎ火葬禁止を布告するに至ったものである。
  10. ^ 火葬開始(点火)時刻は20時以降、火葬終了(消火)時限は翌朝5時または8時までとした自治体が多い
  11. ^ 東京府火葬場取締規則(明治20年警察令第5号)は全18条から成る詳細かつ厳しいもので、その条文の一部は「墓地、埋葬等に関する法律」昭和23年法律第48号に引き継がれて、現在も全国に適用されている
  12. ^ 産褥物胞衣とは、胎盤、臍帯、卵膜、悪露およびそれらが付着した衣類など。産汚物とは産婦の排泄物およびそれらが付着した衣類・紙類など。
  13. ^ 火葬場取締規則改正では第一条にて東京の火葬場定数を5から8箇所と増やしており、明治20年7月、新たに許可された日暮里に火葬場を新設開業するために東京博善会社が設立されて、東京博善会社日暮里火葬場として操業開始した。しかし、開業すると同時に近隣住民から激しい苦情を受けるようになり、明治21年(1887年)12月14日・東京市区改正設計(都市計画)委員会決定でも日暮里は否定された事から、明治22年(1889年)に移転命令を受けた。その後、しばらく移転計画は難航して15年後の明治37年(1904年)8月に町屋火葬場の隣地に移転し、町屋で先行操業していた町屋火葬場会社と並んでしばらく操業した後、両社は合併して東京博善町屋斎場となった
  14. ^ 大阪市は明治40年(1907年)に民営の天王寺、長柄、岩崎、浦江の各火葬場を買収、市営化した。
  15. ^ 名古屋市は大正4年(1915年)6月1日に市営八事火葬場を操業開始した
  16. ^ 京都市は昭和6年(1931年)3月に東西両本願寺が経営する花山火葬場を買収して全面改築、昭和7(1932)11月、最新重油炉18基を備える市営花山火葬場を操業開始した
  17. ^ 明治期の簡易木薪炉では6~10時間程度、設計の優れた木薪炉でも4時間程度。初期の重油炉では2時間程度であった。
  18. ^ 昭和初期から中期に建設された重油を燃料とする火葬場では、高さ18~30メートル程度の煙突が多い。昭和47年(1972年)改築の群馬県前橋市営斎場では高さ50メートルの煙突を備えていた。

出典

  1. ^ “平成27年度衛生行政報告例の概況”. 厚生労働省 (2016年11月17日). 2017年5月17日閲覧。
  2. ^ 玉腰芳夫『古代日本のすまい』ナカニシャ出版、昭和55年)178頁
  3. ^ 東京大学史料編纂所編『大日本古記録』小右記、藤原実資著
  4. ^ 浅香勝輔=八木澤壮一『火葬場』(大明堂、昭和58年)44-45頁、48-50頁
  5. ^ 水藤真『中世の葬送・墓制』(吉川弘文館、平成3年)31頁~
  6. ^ 『続江戸砂子』享保20年(1735年)
  7. ^ 葬送文化研究会『葬送文化論』(古今書院、1993年3月)121-124頁
  8. ^ 八木澤壯一『火葬場及び関連施設に関する建築計画的研究』(昭和57年)38-40頁
  9. ^ 浅香勝輔=八木澤壮一『火葬場』(大明堂、昭和58年)55-58頁
  10. ^ 浅香勝輔=八木澤壮一『火葬場』(大明堂、昭和58年)85-86頁
  11. ^ 京都市歴史資料館『史料京都の歴史』第一三巻「南区」
  12. ^ 碓井小三郎『京都坊目誌』大正5年
  13. ^ 宮本又次『大阪の風俗 毎日放送文化双書8』(毎日放送 昭和48年)335頁
  14. ^ 浅香勝輔=八木澤壮一『火葬場』(大明堂、昭和58年)46頁
  15. ^ 谷川章雄『近世火葬墓の考古学的研究』平成17年(2005年)3月、早稲田大学・研究成果報告書7-9頁
  16. ^ 「火葬ノ儀自今禁止候条此旨布告候事」太政官布告第253号 明治6年(1873年)7月18日
  17. ^ 「火葬禁止ノ布告ハ自今廃シ候条此旨布告候事」太政官布告89号 明治8年(1875年)5月23日
  18. ^ 「墓地及び埋葬取締規則」太政官布達第25号 明治17年10月4日
  19. ^ 「墓地及び埋葬取締規則施行方法細目標準」内務省達乙第40号 明治17年(1884年)11月18日
  20. ^ 伝染病予防取締規則・明治21年(1890年)7月
  21. ^ 伝染病予防法(明治30年法律第36号)、廃止・平成11年(1999年)4月1日
  22. ^ 東京府火葬場取締規則・警察令第5号・警視廳警視総監 明治20年(1887年)4月11日(官報第1131号)
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  27. ^ 大正14年(1925年)3月、日新起業株式会社堀之内葬祭場昼間火葬開業。昭和2年(1927年)、東京博善株式会社町屋斎場日中火葬許可
  28. ^ a b 表現文化社「火葬と埋葬―東日本大震災の仮埋葬」
  29. ^ a b c d 「週刊ポスト」(小学館)連載 みうらじゅん「死に方上手」第35回 火葬炉工場へ行ってきた(富士建設工業)
  30. ^ 最近見かけなくなった「宮型霊柩車」どこへ行った?東京スポーツ2014年12月13日9時0分配信
  31. ^ 読売新聞2009年1月19日報道
  32. ^ 【なぜ?】火葬場で棺開け副葬品を勝手にゴミ袋に 葬祭業者怒り「やり直し利かない」市長は謝罪 FNNプライムオンライン 2022年10月5日
  33. ^ 二殯綠建築 燒大體發電大紀元2009年10月6日21時44分11秒
  34. ^ エコ?不謹慎?火葬場の熱を温水プールに再利用AFP通信2011年2月10日12時36分配信
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  48. ^ 宮本工業所公式サイト
  49. ^ 太陽築炉工業公式サイト
  50. ^ 高砂炉材工業公式サイト
  51. ^ 株式会社開邦工業公式サイト

参考文献

  • 浅香勝輔・八木澤壮一『火葬場』(大明堂1983年6月)
  • 火葬研究協会立地部会編『火葬場の立地』(日本経済評論社2004年12月)
  • 勝田至『日本中世の墓と葬送』(吉川弘文館2006年4月)
  • 歴史民俗学研究会(編)「特集 極楽行きのノウハウ」『歴史民俗学』第19号、批評社、2001年3月、ISBN 4-8265-0326-1。  - 前沢町〔現・奥州市〕営火葬場についてインタビュー記事あり。
  • 横田睦『お骨のゆくえ』(平凡社新書/平成12年)
  • 京都府総合資料館編『京都府百年の資料』昭和47年刊
  • 林英一『近代火葬の民俗学』佛教大学 2010年04月
  • 警視庁史編纂委員会『警視廳史 明治編』、『警視庁史 大正編』、『警視庁史 昭和前編』
  • 明治政府内閣官報局『法令全書』明治二十二年版
  • 官版『太政官布告書』明治十三年版
  • 官報『太政官布達』明治十七年版
  • 大阪市史編纂所『新修大阪市史 本文編』第三巻、第四巻、第五巻、第六巻 平成8年
  • 大阪市『大阪市事業年表』 明治6年~平成20年
  • 葬送文化研究会『葬送文化論』(古今書院、1993年3月)
  • 八木澤壯一『火葬場及び関連施設に関する建築計画的研究』(昭和57年)
  • 東京都編『東京市史稿』市街篇第五七(東京都、1965年)
  • 東京博善編『東京博善株式会社五十年史』(東京博善社、1971年)

関連項目

外部リンク

  • 厚生労働省 全国火葬場データベース
  • NPO法人 日本環境斎苑(火葬場)協会
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葬儀形態
学術研究
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関連項目
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  • 葬送
日本の火葬場 (斎場)
火葬場
北海道地方

札幌市里塚斎場 - 札幌市山口斎場 - 鷲泊葬苑 - 鬼脇葬苑 - 利尻聖苑 - 礼文町葬祭場 やすらぎ苑 - 稚内聖苑 - 猿払村斎場 - 豊富町火葬場 - 浜頓別町火葬場 - 中頓別町火葬場 - 枝幸町 やすらぎ聖苑 - 幌延町葬祭場 - 中川町火葬場 - 音威子府村火葬場 - 遠別町・天塩町共同斎場 - びふか葬苑 - 広域火葬場はまなす聖苑 - 天売火葬場 - 焼尻火葬場 - 名風聖苑 - 天塩川清流苑 - 剣淵町斎場 - 和寒町葬斎場 - 幌加内町火葬場 やすらぎ苑 - 比布町火葬場 - 愛別町火葬場 - 上川町営火葬場 - 当麻町葬斎場 - やすらぎ聖苑 - ましけ葬苑 - 浜益斎場 - 中空知火葬場(滝の川斎苑) - 旭川聖苑 - 大雪葬斎場 - 下川町火葬場 - 西興部村葬祭場 - 雄武斎場 - 興部町斎場 - 紋別葬苑 - 滝上町芳昇苑 - 湧別町湧別斎場 - 湧別町上湧別斎場 - 遠軽町六郷聖苑 - 遠軽町白滝聖苑 - 北見市火葬場 やすらぎ苑 - 北見市常呂町斎場 - 北見市留辺蘂町葬斎場 - 訓子府町葬斎場 清陵苑 - 置戸町葬斎場 - 陸別火葬場 - 足寄火葬場 - 上士幌町 葬斎場 - 士幌聖苑 - 本別火葬場 - 白糠町 白糠斎場 - 望洋苑斎場 - 釧路市阿寒町斎場 - 釧路市昇雲台斎場- 浜中町斎場 - 鶴居村 葬斎場 - しべちゃ斎場 - 根室市 蒼香苑 - サロマ斎場 - 網走市八坂火葬場 - オホーツク斎場 - 羅臼町葬斎場 - 小清水町葬斎場 - 清里町葬斎場 - 大空町葬祭場 - 望岳苑斎場 - 白樺斎場 - 別海斎場 - 小樽市葬斎場 - 喜茂別町火葬場 - 京極町火葬場 - 倶知安斎場 - ニセコ斎場 - 蘭越町斎場 - 余市町営斎場 - 積丹町葬斎場 - 古平町火葬場 - 神恵内村火葬場 - 泊村火葬場 - 共和町斎場 - 岩内町霊苑 - 黒松内町葬斎場 - 寿都町葬斎場 - 島牧村葬斎場 - 北広島市葬斎場 - 恵庭市火葬場 恵浄殿 - 石狩斎場 - 江別市葬斎場 - 伏古斎苑 - 浄安殿 - 美唄斎苑 - 三笠市火葬場 柏の郷聖苑 - 篠津山火葬場 - 厚田斎場 - 吉野斎苑 - 北空知葬斎場 - 芦別市斎場 - 上富良野町葬祭場 - 中富良野町西山火葬場 - 富良野市火葬場 - 南富良野町斎場 - 占冠村火葬場 - 日高町立日高火葬場 - 新得町立葬斎場 - 清水町葬斎場 - 音更町火葬場 - 芽室町斎場 - 帯広市帯広火葬場 - 幕別町葬斎場 - 池田町葬斎場 - 豊頃町葬斎場 - 浦幌町葬斎場 - 中札内村火葬場 - 大樹忠類葬斎場 - 広尾町葬斎場 - 目黒火葬場 - えりも町火葬場 - 様似町葬斎場 - 浦河町葬斎場 - 三石葬斎場 - 静内葬苑 - 日高町立門別葬祭場 - 平取町斎場 - 夕張市葬斎苑 - 安平町立 追分斎場 - 安平町立 早来斎場 - 苫小牧市高丘霊葬場 - 白老葬苑火葬場 - 登別市葬斎場 - 室蘭市神代火葬場 - 伊達火葬場 - 壮瞥町火葬場 - 洞爺湖町虻田火葬場 - 豊浦町営火葬場 - 長万部町葬斎場 - 狩場葬苑 - やすらぎ苑 今金町葬斎場 - 大成火葬場 - 奥尻町総合葬斎場 - 八雲町斎場 - 八雲町 熊石斎場 - 森町葬苑 - 森町 さわら斎場 - 鹿部町斎場 鹿聖苑 - 南部桧山葬斎場 - 七飯町 ななえ斎苑 - 北斗市 永遠の森火葬場 - 北斗市火葬場 - 函館市斎場 - 函館市戸井斎場 - 函館市椴法華斎場 - 函館市南茅部斎場 - 木古内町火葬場 安行苑 - 高野斎苑 - 福島町火葬場 安養苑

東北地方

青森市斎場 - 青森市浪岡斎園 - 今別地区斎場 てんしょう苑 - 蟹田地区斎場 - 五所川原市 葬斎苑 - 五所川原市 金木斎場 - つがる市斎場 - 鯵ヶ沢町斎場 - 深浦町 ふかうら斎苑 - 鶴田町火葬場 - 板柳町斎場 - 藤崎町斎場 - 黒石市姥懐霊園火葬場 - 平川市やすらぎ聖苑 - 弘前市斎場 - 大鰐町斎場 鶯郷苑 - 平川市碇ヶ関斎場 - 三戸地区葬祭場 - 八戸市斎場 - 五戸町斎場 - 十和田地域広域斎苑 - 三沢市火葬場 - 公立中部上北斎場 - 野辺地地区斎場 - 東通村斎場 - むつ市斎場 - むつ市 大畑斎場 - むつ市 川内斎場 - むつ市 脇野沢斎場 - 大間町斎場 - 佐井村斎場 蓮精苑 - 平内町斎場 つきのき聖苑 - 盛岡市斎場やすらぎの丘 - 雫石町火葬場 - 八幡平市斎場 - 岩手・玉山斎場「浄霊苑」 - 岩泉斎場 - 葛巻町立 くずまき斎苑 - 一戸斎場せせらぎの丘 - 九戸村火葬場 - 軽米町火葬場 『かるまい斎苑』 - 斎場にのへ - 久慈地区斎場 - 矢巾町立 矢巾斎苑 - 紫波町立 紫波斎苑かたくりの丘 - 花巻市石鳥谷斎場 - 花巻市東和斎場 - 花巻市大迫斎場 - しみず斎園 - 遠野市斎場「永遠の丘」 - みやこ斎苑 - 常安寺火葬場 - やまだ斎苑 - 大槌町立 おおつち斎苑 - 胆江地区広域火葬場さくらぎ苑 - 千厩斎苑 - 釣山斎苑 - 釜石斎場 - おおふなと斎苑 - 陸前高田斎苑 - 仙台市葛岡斎場 - 名取市斎場 - 岩沼市斎場 - 亘理葬祭場 - あぶくま斎苑 - 白石斎苑 - 柴田斎苑 - 川崎斎苑 - 塩釜地区りふ斎苑 - 黒川浄斎場 - 大崎広域松山斎場 - 大崎広域涌谷斎場 - 大崎広域加美斎場 - 大崎広域玉造斎場 - 東松島市火葬場 - くりはら斎苑 - 登米市斎場 - 気仙沼市斎場 - 気仙沼市唐桑斎場 - 気仙沼市本吉斎場 - 南三陸町 南さんりく斎苑 - 石巻市石巻斎場 - 石巻市雄勝斎場 - 女川町火葬場 - 秋田市斎場 - 湖東地区斎場 - 男鹿市斎場 -五城目町斎場 - 三種町火葬場 清華苑 - 清幸苑 - 能代市斎場 - 藤里町立火葬場 風華苑 - 北秋田市 鷹巣斎場 - 大館市斎場(小柄沢墓園管理センター) - 鹿角斎場 - 仙北市 田沢湖斎場 - 大曲仙北広域市町村圏組合北部斎場 - 大曲仙北広域市町村圏組合中央斎場 - 大曲仙北広域市町村圏組合南部斎場 - 横手市東部斎場 - 横手市西部斎場 - 湯沢火葬場 - にかほ市斎場 青松苑 - にかほ市 象潟斎場 - 由利本荘市水林斎場 - 由利本荘市矢島斎場 - 由利本荘市由利斎場「安清苑」 - 由利本荘市東由利斎場「やすらぎ苑」 - 山形市斎場 - 酒田市斎場 - 酒田市八幡斎場 - 遊佐町斎場 - 庄内町火葬場 - 戸沢村斎場 - 金山町火葬場 - 真室川町斎場 - 新庄・最上さくらが丘斎苑 - 舟形町・大蔵村共立うど山斎場 - 尾花沢市大石田町環境衛生事業組合 斎場 白菊苑 - 河北町ほか2市広域斎場妙光苑 - 天童市斎場 - 寒河江地区斎場 - 中山町斎場 - 上山市経塚斎場 - 白鷹町斎場 - 長井市緑ケ丘斎場 - 南陽市斎場しらぎく - 高畠町斎場 - 川西町斎場 - 米沢市斎場 - 小国町斎場 - 福島市斎場 - 伊達市斎場 - 桑折町火葬場 - 川俣町火葬場 - 相馬方部衛生組合一里壇斎苑 - 南相馬市営原町斎場 - 斎場 聖香苑 - いわき清苑 - いわき南清苑 - あだたら聖苑 - 郡山市東山悠苑 - ふねひき斎苑 - 田村市斎場 - 小野町火葬場 おの悠苑 - 須賀川地方保健環境組合斎場 - やぶき霊香苑 - いしかわ清苑 - 東白斎苑 - 白河斎場 - 会津若松市斎場 - いなわしろ聖苑 - 会津西部斎苑 - 喜多方地方広域市町村圏組合斎場 - 南会津地方環境衛生組合 東部聖苑 - 南会津地方環境衛生組合 西部聖苑 - 檜枝岐村火葬場

関東地方

水戸市斎場 - 笠間広域斎場やすらぎの森 - 石岡地方斎場 - 土浦市営斎場 - つくばメモリアルホール - 北茨城市葬祭場 - 日立市中央斎場 - 日立市鞍掛山斎場 - 日立市金沢火葬場 - 常陸大宮市営斎場 - 常陸大宮市営里美斎場 - 大子町斎場 - おおみや広域聖苑 - 那珂聖苑 - 常陸海浜広域斎場 - いばらき聖苑 - 霞ヶ浦聖苑 - 鹿嶋聖苑 - かみす聖苑 - 聖苑香澄 - うしくあみ斎場 - 龍ヶ崎市営斎場 - 取手市外2市火葬場組合「やすらぎ苑」 - 常総市斎場 - 坂東市営斎場 - さしま斎場 - 古河市斎場 - ヘキサホール・きぬ - きぬ聖苑 - 前橋市斎場 - 高崎市斎場 - はるなくらぶち聖苑 - いせさき聖苑 - さかい聖苑 - 太田市斎場 - 大泉町外二町斎場- 館林市斎場 - 桐生市斎場 - 渋川広域斎場 しらゆり聖苑 - 利根沼田広域斎場 ぬまた聖苑 - みなかみ町水上火葬場 - みなかみ町新治火葬場 泉峰苑 - 吾妻郡東部火葬場 なかのじょう聖苑 - 吾妻郡西部火葬場 - 安中市すみれケ丘聖苑 - 富岡市斎場 かぶら聖苑 - 甘楽西部環境衛生施設組合火葬場 - 藤岡市偕同苑 - 宇都宮市 悠久の丘 - 足利市斎場 - 佐野斎場 - 葛生火葬場 - 栃木市斎場 - 小山聖苑 - 芳賀地区広域行政事務組合斎場 - 南那須地区斎場 - しおや聖苑 - 大田原市火葬場 - 那須聖苑 - 日光聖苑 - 鹿沼市斎場 - 浦和斎場 - 大宮聖苑 - 川口市めぐりの森 - 越谷市斎場 - 川越市斎場 - 所沢市斎場 - しののめの里 - 三郷市斎場 - 谷塚斎場 - メモリアルトネ - こだま聖苑 - 上尾伊奈斎場つつじ苑 - 県央みずほ斎場 - 埼葛斎場組合斎場 - 東松山斎場 - 越生斎場 - 深丘園 - 行田市斎場 - 秩父斎場 - 広域飯能斎場 - 戸田葬祭場 - 瑞穂斎場 - ひので斎場 - 青梅市火葬場 - 日野市営火葬場 - 八王子市斎場 - 南多摩斎場 - 立川聖苑 - 日華多磨葬祭場 - 府中の森市民聖苑 - 堀ノ内斎場 - 落合斎場 - 代々幡斎場 - 桐ヶ谷斎場 - 臨海斎場 - 町屋斎場 - 四ツ木斎場 - 瑞江葬儀所 - 大島町火葬場 - 新島火葬場 - 式根島火葬場 - 神津島村火葬場 - 三宅村火葬場 - 八丈町火葬場 - 小笠原村父島火葬場 - 小笠原村母島火葬場 - 千葉市斎場 - 馬込斎場 - しおかぜホール茜浜 - 市川市斎場 - 松戸市斎場 - ウィングホール柏斎場 - 野田市斎場 - 野田市関宿斎場 - 浦安市斎場 - さくら斎場 - 八富成田斎場 - 印西斎場 - 北総斎場 - 山武郡市広域斎場 - おみがわ聖苑 - 山桑メモリアルホール - みたま苑 旭 - 銚子市斎場 - きみさらず聖苑 - 上総聖苑 - いちはら聖苑 - 長南聖苑 - 一宮聖苑 - 大多喜斎場無相苑 - いすみ市大原聖苑 - かつうら聖苑 - 長狭地区火葬場 - 安房聖苑 - 横浜市久保山斎場 - 横浜市北部斎場 - 横浜市南部斎場 - 横浜市戸塚斎場 - 西寺尾火葬場 - かわさき南部斎苑 - かわさき北部斎苑 - 横須賀市立中央斎場 - 三崎市営火葬場 - 誠行社小坪斎場 - 藤沢聖苑 - 茅ヶ崎市斎場 - 平塚市聖苑 - 大和斎場 - 厚木市斎場 - 愛川聖苑 - 相模原市営斎場 - 秦野斎場 - 小田原市斎場 - 真鶴聖苑

中部地方

名古屋市立八事斎場 - 名古屋市立第二斎場 - 尾張北部聖苑 - 尾張東部聖苑 - 一宮市 一宮斎場 - 一宮市 尾西斎場 - 祖父江斎場 - 五条川斎苑 - 蟹江町本町斎苑 - 蟹江町舟入斎苑 - 津島市斎場 - 弥富市火葬場 いつくしみ - 愛西市総合斎苑 - 飛島聖苑 - 瀬戸市斎苑 - 古瀬間聖苑 - 知立市逢妻浄苑 - 青山斎園火葬場 - 知北斎場 - 知多斎場 - 半田斎場 - 常滑市営火葬場 - 知多南部斎場 - 安城市総合斎苑 - 衣浦衛生組合 衣浦斎園 - 西尾市斎場やすらぎ苑 - 岡崎市斎場 - セレモニーホールとぼね - 豊橋市斎場 - 田原市田原斎場 - 豊川市斎場会館 永遠の森 - しんしろ斎苑 - 東栄町斎苑 - 設楽町八橋斎苑 - 静岡市静岡斎場 - 静岡市清水斎場 - 静岡市庵原斎場 - 静岡市静岡斎場井川分場 - 富士宮聖苑 - 富士市斎場 - 沼津市斎場 - 伊豆の国市斎場 梛の杜 - 伊豆市 伊豆聖苑 - 西伊豆町斎場 - 伊豆斎場 - 伊東市斎場 - みしま聖苑 - 玉穂斎場公苑 - 熱海市火葬場 - 浜松市浜松斎場 - 浜松市雄踏斎場 - 浜松市三ケ日斎場 - 浜松市浜北斎場 - 浜松市天竜斎場 - 浜松市春野斎場 - 浜松市佐久間・水窪斎場 - 湖西市営火葬場 - 湖西市新居斎場やすらぎ苑 - 磐田市聖苑 - 南遠地区聖苑 - 中遠聖苑 - 東遠地区聖苑 - 島田市斎場 - 島田市金谷斎場(静浄苑) - 謝恩閣 - 志太広域事務組合斎場会館 星山の苑 - 川根本町中川根斎場 - 川根本町本川根斎場 - 岐阜市斎苑 - 各務原市瞑想の森 - 海津市斎苑 天昇苑 - 養老町斎苑 清華苑 - 安八町・輪之内町斎苑 やすらぎ苑 - 羽島市営斎場 - 大垣市鶴見斎場 - 大垣市勝山斎場 - 大垣市かみいしづ斎場 - 関ケ原斎苑 - 垂井町斎場 - 瑞穂市火葬場 - 笠松町営火葬場 - 坂内火葬場 - 揖斐広域斎場 - 可茂聖苑 - 関市総合斎苑わかくさ - 美濃市斎場 やすらぎの丘 - 多治見市火葬場 華立やすらぎの杜 - 土岐市斎苑 美しが峰 - 瑞浪市斎場 - 恵那市 えな斎苑 - 中津川市中津川斎場 - 中津川市坂下火葬場 - 中津川市付知火葬場 - 郡上市北部斎苑 - 郡上市南部斎苑 - 郡上市大和斎場 - 郡上市高鷲斎場 - 下呂市 浄郷苑 - 下呂市 小坂斎場 - 高山市営火葬場 - 高山市営久々野火葬場 - 高山市営荘川火葬場 - 飛騨市 光明苑 - 飛騨市 松ヶ丘公園斎場 - 白川村斎場 - 富山霊園富山市斎場 - 富山市北部斎場 - 富山市大沢野斎場 - 富山市婦負斎場 - 新川広域圏事務組合 東部斎場 - 新川広域圏事務組合 西部斎場 - 滑川市火葬場 - 音沢火葬場 - 上市町斎場 - 射水市斎場 - 砺波市斎場 - 高岡斎場 - 南砺市福野斎場「紫苑」 - 南砺市福光斎場 - 南砺市上平斎場 - 小矢部市斎場 - 氷見市斎場 東原斎苑 - 金沢市東斎場 - 金沢市南斎場 - 小松加賀斎場 さざなみ - 白山郷斎場 - 手取郷斎場 - 白山市松任斎場 - 河北斎場 - 羽咋郡市広域圏事務組合 羽咋斎場 - 羽咋郡市広域圏事務組合 志賀斎場 - ななか斎場 - やすらぎの杜 - 能登三郷斎場 - 珠洲市営斎場 - 福井市斎苑 - 坂井市赤坂聖苑 - 代官山斎苑 - 和みの杜 - 大野市営葬祭場 - 池田町葬祭場 - 鯖江葬祭場 - 越前市斎場 - 敦賀斎苑 - 美浜斎苑 - 若狭町斎場 - 若狭霊場 - 高浜斎苑 - 新潟市青山斎場 - 新潟市新津斎場 - 新潟市白根斎場 - 新潟市青山斎場 - 新潟市亀田斎場 - 新潟市巻斎場 妙有院 - 村上市山北町火葬場 - 村上市火葬場無相院 - 村上市荒川火葬場普照園 - 広域葬斎センター願文院 - 阿賀北葬斎場 - 五泉市斎場 - 加茂市・田上町消防衛生保育組合斎場 - 燕・弥彦総合事務組合 斎場 - 見附市斎場 - 三条市槻の森斎苑 - 長岡市斎場 - 長岡市寺泊斎場 - 長岡市与板無憂苑斎場 - 長岡市栃尾斎場 - 長岡市小国斎場 - 長岡市川口斎場 - 魚沼市斎場 - 魚沼市入広瀬火葬場 - 南魚沼市斎場 - 十日町市 十日町斎場 - 柏崎市斎場 - 上越市 上越斎場 - 上越市 頸北斎場 - 妙高市経塚斎場- 糸魚川市斎場 - 糸魚川市能生火葬場 - 津南斎場 - 佐渡市 永安館 - 佐渡市 相川斎場 - 佐渡市 青山斎場 - 長野市松代斎場 - 長野市大峰斎場 - 長野市犀狭斎場 - みゆき野斎苑 - 北信斎場 たびだちの森 - 須高行政事務組合 松川苑 - 小川村火葬場 - 北アルプス広域葬祭場 - 池田松川葬祭センター - 葛尾苑 - 広域豊科葬祭センター - 大星斎場 - 依田窪斎場 - 佐久平斎場 - 松本市葬祭センター - 塩尻市斎場 - 湖北火葬場 湖風苑 - 静香苑 - 伊那市営火葬場 - 木曽葬祭センター 緑聖苑 - 伊南聖苑 - 長谷火葬場 精香斎苑 - 下伊那北部火葬場 五稜の森 - 飯田市斎苑 - 下伊那郡西部衛生施設組合 衛生センター火葬場 - 下伊那南部総合事務組合 阿南斎場 - 甲府市斎場 - 北の杜聖苑 - 韮崎市営火葬場 - やすらぎ聖苑 - 東山聖苑 - 東八聖苑 - ふじかわ聖苑 - 峡南衛生組合火葬場 - 南部アルカディア聖苑 - 富士五湖聖苑 - 都留市火葬場 ゆうきゅうの丘つる - 大月市火葬場 - 上野原市葬斎場

近畿地方

大津市斎場 大津聖苑 - 大津市斎場 志賀聖苑 - 草津市営火葬場 - 甲賀市 甲賀斎苑 - 湖南市浄苑 - 野洲川斎苑 - 近江八幡市立さざなみ浄苑 - 布引斎苑 - 紫雲苑 - 高島市斎場 - 木之本斎苑 - こもれび苑 - 大阪市立瓜破斎場 - 大阪市立北斎場 - 大阪市立小林斎場 - 大阪市立佃斎場 - 大阪市立鶴見斎場 - 能勢町営斎場 - 池田市立葬祭場 やすらぎ会館 - 箕面市立聖苑 - 豊中市立火葬場 - 吹田市立やすらぎ苑 - 摂津市斎場 - 茨木市立斎場 - 高槻市立葬祭センター - 枚方市立やすらぎの杜 - 寝屋川市立寝屋川斎場 - 飯盛霊園組合 飯盛斎場 - 寝屋川市立寝屋川斎場 - 東大阪市立額田斎場 - 東大阪市立荒本斎場 - 東大阪市立楠根斎場 - 東大阪市立岩田斎場 - 東大阪市立小阪斎場 - 八尾市立斎場 - 柏原市斎場 - 藤井寺市営火葬場 - 堺市立斎場 - 浄土寺火葬場 - 平尾火葬場 - 黒山火葬場 - 登美丘日置荘共有火葬場 - 北久保共有火葬場 - 八田北南共有火葬場 - 家原寺火葬場 - 浜寺船尾共有火葬場 - 浜寺下共有火葬場 - 下石津共有火葬場 - 高石霊園葬儀場・火葬場(たかいし斎場) - 泉大津市営火葬場 ゆうしお - 忠岡町立忠岡斎場 - 大阪狭山市立斎場 - 富田林市立斎場 - 河内長野市営斎場 金剛霊殿 - 岸和田市立斎場 - 泉佐野市営檀波羅浄園付設火葬場 - 田尻町火葬場 - 熊取町立斎場 - 泉南阪南共立火葬場 - 岬町立淡輪火葬場 - 京都市中央斎場 - 宇治市斎場 - 亀岡市営火葬場 - 船井郡衛生管理組合 火葬場 - 新水戸斎場 - 綾部市斎場 - 福知山市斎場 - 宮津市火葬場 - 与謝野町立阿蘇霊照苑 - 京丹後市火葬場 - 舞鶴市斎場 - 奈良市斎苑 旅立ちの杜 - 生駒市営火葬場 - 大和郡山市清浄会館 - 平群野菊の里斎場 - 斑鳩町営火葬場 - 静香苑 - 下永火葬場 - 香芝市営火葬場 - 教安寺火葬場 - 橿原市営斎場 - 桜井市火葬場 - 宇陀市営榛原斎場 - 宇陀市営不帰堂火葬場 - ふきあげ斎場 - 葛城市火葬場 - 御所市火葬場 - 高取町営火葬場 昇華苑 - 大淀町営斎場 - 下市町火葬場 - 吉野斎場 - 五條市斎場ハートピアさくら - 赤滝火葬場 - 天川村火葬場 - 上下北山衛生一部事務組合 火葬場 - 神戸市立鵯越斎場 - 神戸市立西神斎場 - 神戸市立有馬斎場 - 神戸市立甲南斎場 - 尼崎市立弥生ヶ丘斎場 - 伊丹市営斎場 - 川西市斎場 - 猪名川霊照苑 - 三田市聖苑 - 丹波篠山市営斎場 - 西宮市満池谷火葬場 - 芦屋市聖苑 - あかし斎場旅立ちの丘 - 淡路市営岩屋火葬場 - 淡路市営東浦火葬場 - 淡路市営室津火葬場 - 淡路市営津名火葬場 - 洲本市 五色台聖苑 - 洲本市火葬場 - 南あわじ市火葬場 - 南あわじ市沼島火葬場 - 三木市立 みきやま斎場 - 小野加東広域事務組合斎場 湧水苑 - 稲美斎場ひじり苑 - 加古川市斎場 - 高砂市立斎場 - 加西市立斎場 - こうふく苑 - 西脇多可広域斎場 やすらぎ苑 - 丹波市柏原斎場つつじ苑 - 丹波市氷上斎場 - 朝来市斎場 セレモニーホール やすらぎ - 養父市斎場 静霊苑 - 豊岡市立豊岡斎場 - 広域美方苑 - 名古山斎場 - 姫路市 清水谷斎場 - 坊勢火葬場 - 真浦区火葬場 - 宮区火葬場 - 市川斎場 - 宍粟市 あじさい苑 - 宍粟市 しらぎく苑 - 宍粟市 つつじ苑 - 播磨高原斎場 こぶし苑 - 相生市 ささゆり苑 - 赤穂市斎場 - 和歌山市立斎場 - 高野町斎場 - 高野口斎場 - かつらぎ斎場 - 岩出市火葬場 - 五色台聖苑 - 海南市立下津斎場 - 有田川町清水斎場 - 有田聖苑 - 湯浅町立湯浅斎場 - 由良町立由良斎場 - 日高町立斎場 - 美浜町斎場 - 御坊市立斎場 - 日高川町立中津・美山斎場 - 日高川町立川辺斎場 - 印南町斎場 - みなべ町立斎場 - 田辺市斎場 - 白浜町斎場 - 白浜町日置川斎場 - 串本町立串本火葬場 - 古座川町斎場 - 那智勝浦町立火葬場 - 清浄苑 - 津市 いつくしみの杜 - 津市 美杉伊勢地火葬場 - 津市 美杉八知火葬場 - いなべ市北勢斎場 - 東員町斎苑 - 桑名市斎場 おりづるの森 - 木曽岬町立火葬場 - 菰野町斎場 - 四日市市北大谷斎場 - 鈴鹿市斎苑 - 亀山市斎場 - 伊賀市斎苑 - 名張市営斎場 - 松阪市篠田山斎場 - 松阪市嬉野斎場 - 松阪市飯南火葬場 - 伊勢広域環境組合斎場- 勢和斎場 - 鳥羽市堅神火葬場 - 志摩市斎場 悠久苑 - 浜島斎苑 はまなでしこ - 南勢火葬場 - 南島火葬場 - 大台町立宮川火葬場やすらぎ苑 - 荷坂やすらぎ苑 - 淨聖苑 - 尾鷲市斎場 - 熊野市火葬場

中国地方

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四国地方

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九州地方

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