辻宣道

辻宣道(つじ のぶみち、1930年12月7日 - 1994年7月25日[1])は、日本牧師栃木県足利市生まれ。元日本基督教団総会議長。祖父は中田重治

生涯

1930年、父辻啓蔵牧師、母京(中田重治の次女)の間に足利に生まれる。1935年8月22日、3歳上の兄重蔵が渡良瀬川で溺死する。1939年には祖父中田重治が死去する。その後、父啓造は青森の教会に転勤になり、一家は青森に移る。1942年、父啓造師が宗教弾圧で検挙され、青森刑務所で獄死し、その後は京に育てられる。1949年に聖書農学園(現千葉英和高等学校)神学部を卒業し、その後静岡県焼津市で開拓伝道を行う。また日本基督教団静岡草深教会牧会を行った。1994年、顎下腺癌のため召天する[1]

『天皇が死んだとき』という文章をキリスト教雑誌に書いたときに、天皇に対して「死んだ」という語を用いたことを非難されたが、牧師であった父親の獄死により長年耐えてきた悲しみを思えば、天皇が「くたばった」といっても言い過ぎではないと感じた[2]

脚注

  1. ^ a b 『現代物故者事典 1994~1996』(日外アソシエーツ、1997年)p.371
  2. ^ 『天皇制に殺された父』

著書

  • 『真理への招待』
  • 『教会生活入門』
  • 『教会生活の四季』
  • 『その時の祈り』
  • 『もうひとことだけ』
  • 『教会生活の処方箋』
  • 『嵐の中の牧師たち ホーリネス弾圧と私たち』

参考文献

  • 山口幸子『ホーリネスの流れ』ホーリネス教団出版局、1999年
  • 米田勇『中田重治傳』
先代
後宮俊夫
日本基督教団総会議長
第12代:1988年 - 1992年
次代
原忠和
指導者
ルーツ
松江バンド
ホーリネス
米国メソジスト
自由メソジスト教会
救世軍
福音伝道教団
日本イエス・キリスト教団
日本アライアンス教団
ナザレン、その他 
教団
ホーリネス
バックストン
聖公会

聖イエス会(1946- ) - 日本救世軍(1895 - )

米国メソジスト
アライアンス
組織
団体
 神学校
神学
関連事項
キリスト教ポータル
日本基督教団
統理者

富田満(1941年-1946年廃止)

総会議長

初代: 阿部義宗 - 第2代: 真鍋頼一 - 第3代: 小崎道雄 - 第4代: 武藤健 - 第5代: 白井慶吉 - 第6代: 大村勇 - 第7代: 鈴木正久 - 第8代: 飯清 - 第9代: 吉田満穂 - 第10代: 戸田伊助 - 第11代: 後宮俊夫 - 第12代: 辻宣道 - 第13代: 原忠和 - 第14代: 小島誠志 - 第15代: 山北宣久 - 第16代: 石橋秀雄 - 第17代: 雲然俊美

教団内グループ
教団立・教団認可神学校
教団内組織
キリスト教主義学校
関連項目
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