紀元前149年
世紀 | 前3世紀 - 前2世紀 - 前1世紀 |
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十年紀 | 前160年代 前150年代 前140年代 前130年代 前120年代 |
年 | 前152年 前151年 前150年 紀元前149年 前148年 前147年 前146年 |
紀元前149年(きげんぜん149ねん)は、ローマ暦の年である。
当時は、「ルキウス・マルキウス・ケンソリヌスとマニウス・マニリウスが共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元605年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世初期以降、この年は紀元前149年と表記されるのが一般的となった。
他の紀年法
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凡例
- 分類にある「日本」「中国」「中国周辺」「朝鮮」「ベトナム」は地域概念であり、特定の国家をさすものではなく、またその外延は便宜的に定めたものである。特に「*」の付された王朝の分類は仮配置であり、現在も「ガイドライン」のノートで対応を検討中である。
- 「中国周辺」は、「広義の北アジア、中央アジア、及びこれに隣接する中国の一部地域(ほぼ中央ユーラシアに相当)」を指す。
- 一段右寄せの箇条に掲げた元号は、その上段の元号を建てた王朝に対抗する私年号である。
- 仏滅紀元及びユダヤ暦は、現在のところ元年と対応する西暦年から逆算した数を表示しており、旧暦等の暦日の記述とともに確実な出典を確認していないので利用には注意されたい。
- 皇紀は日本で1873年の太陽暦採用と同時に施行された。
- 檀紀は大韓民国で1948年から1961年まで公式に使用された。
- 主体暦は朝鮮民主主義人民共和国で1997年から公式に使用されている。
- 仏滅紀元は紀元前543年を元年とするタイ仏暦を基準にしている。スリランカなどでは紀元前544年を元年としているので1を加算されたい。
できごと
共和政ローマ
- 第三次ポエニ戦争が始まった。ローマ軍はアフリカに上陸し、チュニス湖の戦いなどを戦った。
- セルウィウス・スルピキウス・ガルバはヒスパニア・ウルテリオルでの行動を問題視され、起訴された。しかし、子供を同行させ同情を誘い無罪になった。
- スペインでの内乱は再び激しくなり、ウィリアトゥスの指揮するルシタニア戦争やケルティベリア戦争が起こった。
- 護民官のルキウス・カルプルニウス・ピソ・フルギが恐喝された金銭の返却請求法(Lex Calpurnia de repetundis)を通過させ、この罪状を裁くための常設査問所(quaestio)が設置された。
マケドニア
ビテュニア
- 共和政ローマの支援を得て、ニコメデス2世が父プルシアス2世の後を継いでビテュニアの王になった。
誕生
「Category:紀元前149年生」も参照
死去
「Category:紀元前149年没」も参照
- マルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウス、共和政ローマ期の政治家(* 紀元前234年)
- プルシアス2世、ビテュニア王(* 紀元前182年)
脚注
注釈
出典
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関連項目
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