1995年の横浜ベイスターズ(1995ねんのよこはまベイスターズ)では、1995年の横浜ベイスターズの動向をまとめる。
この年の横浜ベイスターズは、近藤昭仁監督の3年目のシーズンである。
概要
序盤は5割前後を推移したがこの年に首位を独走したヤクルトに引き離され広島、巨人とのAクラス争いとなる。5月20日からの5連勝で13勝11敗と貯金を作ると、7月にも4連勝を2度記録して11勝7敗と勝ち越し巨人と3位争いを演じる。7月14日からの3連戦で巨人を抜いて3位に浮上するが、8月に入ると負けの込む試合が目立ち始める。それでも8月中旬の5連勝で貯金を6まで伸ばすも、8月22日からの巨人戦で3連敗して巨人に3位を明け渡すとそれ以降はAクラスに浮上することなく貯金2と勝ち越しながらも4位でシーズンを終えた。投手陣は前年までと違って投壊も目立ち、チーム防御率4.37はリーグ5位で1989年以来6年ぶりの防御率4点台(リーグ最下位の阪神は3.83)。先発投手でも斎藤隆・三浦大輔の8勝が最高で、五十嵐英樹が6勝にとどまり、前年まで2年連続開幕投手の有働克也がわずか4勝の上防御率5点台に終わった。打撃陣はグレン・ブラッグス、ロバート・ローズを筆頭に石井琢朗、波留敏夫ら後のマシンガン打線の主力が打ちまくりチーム打率は.261のリーグ2位を記録した。正捕手は谷繁元信(93試合出場)と秋元宏作(101試合出場)の併用となった。近藤監督は若手が成長し手応えを感じていたが志半ばで解任され、後任にはバッテリーコーチの大矢明彦が就任[2]。
チーム成績
レギュラーシーズン
1995年セントラル・リーグ順位変動 順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 最終成績 |
1位 | ヤクルト | -- | ヤクルト | -- | ヤクルト | -- | ヤクルト | -- | ヤクルト | -- | ヤクルト | -- |
2位 | 広島 | 4.0 | 広島 | 5.5 | 広島 | 5.5 | 広島 | 3.5 | 広島 | 6.0 | 広島 | 8.0 |
3位 | 巨人 | 4.5 | 巨人 | 巨人 | 7.5 | 横浜 | 8.5 | 巨人 | 10.5 | 巨人 | 10.0 |
4位 | 横浜 | 横浜 | 横浜 | 8.0 | 巨人 | 8.5 | 横浜 | 12.5 | 横浜 | 16.0 |
5位 | 中日 | 6.0 | 阪神 | 10.5 | 阪神 | 13.0 | 阪神 | 21.0 | 阪神 | 30.0 | 中日 | 32.0 |
6位 | 阪神 | 8.0 | 中日 | 12.0 | 中日 | 17.0 | 中日 | 24.5 | 中日 | 31.0 | 阪神 | 36.0 |
オールスターゲーム1995
詳細は「1995年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
選手・スタッフ
横浜ベイスターズ 1995 |
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監督 | |
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一軍コーチ | |
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二軍監督・コーチ | |
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投手 | |
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捕手 | |
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内野手 | |
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外野手 | |
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表彰選手
リーグ・リーダー |
選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
佐々木主浩 | 最優秀救援投手 | 39SP | 3年ぶり2度目 |
ドラフト
詳細は「1995年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
出典
[脚注の使い方]
- ^ “年度別成績 1995年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2016年9月21日閲覧。
- ^ ベースボールマガジン 2022年6月号 (横浜ベイスターズ盛衰記)、39頁
- ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7。
各年の横浜DeNAベイスターズ |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1953年開幕直前に松竹ロビンスと球団合併 |
| この項目は、野球に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球/P野球)。 |