エドワード・コーンズ

エドワード・コーンズ
Edward Cornes
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個人情報
出生 (1840-01-01) 1840年1月1日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国イリノイ州マレンゴー
死去 (1870-08-01) 1870年8月1日(30歳没)
日本の旗 日本東京府築地(事故死)
墓所 横浜外国人墓地
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
配偶者 ディア・エリザ(事故死)
子供 エドワード(事故死)、ハリー
職業 宣教師
出身校 シカゴ長老神学校(現・マコーミック神学校)
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エドワード・コーンズ(Edward Cornes、1840年 - 1870年8月1日)は、アメリカ合衆国イリノイ州出身の来日宣教師である。日本で事故死した。

生涯

初期

1840年にイリノイ州マレンゴで生まれた。先祖は北アイルランド系移民(スコッチ・アイリッシュ)である。ペンシルバニア州のワシントン・カレッジに入学した。在学中に南北戦争で北軍の義勇軍に応募して騎兵将校として活躍した。1864年に復学し、キャンパスクリストファー・カロザースに出会い親交を結んだ。1865年春にワシントン・カレッジを卒業して、その秋にシカゴにある長老神学校(現:マコーミック神学校)に入学した。1867年にシカゴ長老会で按手礼を受けて、1868年に宣教師の任命を受けた。エリサとの結婚式を済ませてから、1868年6月に米国長老教会の4番目の派遣宣教師として横浜に上陸した。

横浜時代

横浜についたコーンズ夫妻は、横浜居留地39番のジェームス・カーティス・ヘボンの家に落ち着いた。ヘボン塾を手伝い、コーンズは15名の生徒を引き受けて英語などを指導し、エリサは女子クラスを助けた。コーンズの日本語教師として、デイヴィッド・タムソンの日本語教師だった小川義綏が教えることになった。コーンズは短期間に進歩して、小川もコーンズから聖書的感化を受けて、1869年にはタムソンから洗礼を受けた。その間、コーンズはS・R・ブラウンの外国人教会の横浜ユニオン・チャーチで説教をした。またタムソンがチフスに罹った時には、タムソンの英語塾の代わりにコーンズが指導を行った。

そして、日本宣教を希望するクリストファー・カロザースを海外伝道局に推薦した。海外伝道局は次の宣教師として、カロザース夫妻を派遣した。

カロザースが来日した時、ヘボンはアメリカに帰国中であったが、9月にタムソン、コーンズ、カロザースの3人で上京して、大学南校の教頭であったグイド・フルベッキに会って意見を求めた。その結果東京に伝道を集中することになった。

9月末にヘボンがアメリカから帰ると、在日ミッションは第一回在日宣教師会議を開き、東京にステーションを置いて、カロザースを管理者に指名することを決議した。1870年になるとフルベッキから大学南校の教師の推薦が届いた。これを受けて、2月17日から日本政府と契約を結び、横浜から神田一ツ橋に移り、大学南校の教員になった。5月に次男ハリーが生まれた。

事故死

夏休みに入って横浜の友人を訪ねるために、1870年8月1日早朝、蒸気船City of Yedo号に乗船した。沖に近づいた時、船は突然爆発事故を起こした。コーンズ一家はハリーを残して即死した。この事故で、日本人と外国人を含め16人が犠牲になった。コーンズ一家の遺体は横浜外国人墓地に埋葬されている。

遺児ハリーはヘボン夫妻に引き取られ、コーンズの大学南校の残りの契約期間はタムソンがフルベッキの推薦を受けて代講を務めた。ヘボン夫人に養育されていたハリーは、1871年にカロザース夫人のジュリアによって、アイオワ州に住むコーンズの親に届けられた。

参考文献

幕末・明治前期の来日宣教師(1859年 - 1890年)
日本のキリスト教史
カトリック
パリ外国
正教会
ロシア正教

ニコライ(1861) · アナトリー(1873) · ウラジーミル(1878)

聖公会
CMS
SPG

W・B・ライト(1873) · A・C・ショー(1873) · H・J・フォス(1876) · A・ロイド(1884)

ECUSA

E・サイル(1858) · J・リギンズ(1859) · C・M・ウィリアムズ(1859) · H・E・シュミット(1860) · J・カノヴァー(1863) · A・R・モリス(1871) · H・ラニング(1873)  · F・R・ピットマン(1877) · T・S・ティング(1878) · J・マキム(1880) · J・M・ガーディナー(1880) · E・J・フルベッキ(1883) · F・W・ハレル(1884)

MSCC
改革・長老派
米国長老

J・C・ヘボン(1859) · D・タムソン(1862) · E・コーンズ(1868) · C・カロザース(1869) · J・カロザース(1869) · H・ルーミス(1872) · E・R・ミラー(1872) · O・M・グリーン(1873) · S・C・スミス(1874) · M・T・トゥルー(1874) · J・C・バラ(1875) · W・インブリー(1875) · K・M・ヤングマン(1875) · G・W・ノックス(1877) · T・T・アレクサンダー(1877) · T・C・ウィン(1877)

オランダ改革派

S.R.ブラウン(1859) · D・シモンズ(1859) · G・H・F・フルベッキ(1859) · J・H・バラ(1861) · H・スタウト(1869) · M・E・キダー(1869) · C・H・H・ウォルフ(1871) · L・L・ジェーンズ(1871) · M・N・ワイコフ(1872) · J・L・アメルマン(1876) · E・S・ブース(1879) · H・ハリス(1884) · A・オルトマンス(1886)

スコットランド
カンバーランド
南長老
RCU
メソジスト派
米国監督
カナダ

E・W・クラーク(1871) · G・コクラン(1873) · D・マクドナルド(1873) · C・S・イビー(1876) · G・M・ミーチャム(1876) · M・カートメル(1882) · J・G・ダンロップ(1885) · J・W・サンビー(1886) · J・K・マンロー(1888) · I・S・ブラックモーア(1889)

米国南監督

J・W・ランバス(1886) · W・R・ランバス(1886) · S・H・ウェンライト(1888) · J・C・C・ニュートン(1888)

米国美普
米国福音
会衆派
AB
バプテスト派
ABMU
BMS
ディサイプルス
基督教会

C・ガルスト(1883) · G・スミス(1883)

フレンド派
キリスト友婦人
ブレズレン系
プリマス
超教派
WUMS
新神学系
独普及福音
米国ユニテリアン
ユニヴァーサリスト
関連事項
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